インスタントラーメンの感想を書くブログを始めたので、読者諸氏は要チェックでお願いしたい。
https://hidetatz.github.io/ramen/
毎日ラーメン食べてるわけではないので更新頻度は高くはないが。
U-NEXTで「TXQ Fiction records」見た。内容は以前見たものだったけど、新作やるっぽくて嬉しい。
あと、「フェイクドキュメンタリーQ」の新作出てたのも今日知った。これから見る。
最近イチローがメジャーの殿堂入りのインタビューで、「自分の内から出てくる言葉を大切にしていた」と言っていて、それが印象に残っている。自分が今まで取り入れたすべてのものを咀嚼して、その結果として自分に残った言葉というか。 例えばマネジメントで、ただ本に書いてあったことや、マネジメント研修で教わったことをそのまま言ってるみたいなことがあって、それはまあある程度仕方ないことでもあるが、そういうのってやっぱバレる。自分がどう思うかを表現することが重要な時代、来てると思います。
西山ラーメンのインスタントラーメンめちゃくちゃ美味いんだよなあ。
これは仙台のお土産。
仙台は駅の周りがすごく都会だけど、少し離れると田舎になって、こういう地方都市が好きだ。竹竹という店がめちゃくちゃ良かった。あと仙令鮨。ここに行くために仙台にまた来たい。萩の月も喜久福も美味いし。美味しいものが多いところだ。
勢いで仙台に来た。
地方都市が好きだ。
焼きそば食べた。日記書くのめんどくさい。
今週の「メダリスト」がめちゃくちゃ良かった。スポーツってやっぱいいなと思った。周りと競い合いながら練習して、上手くなって、それが嬉しくてまた練習して、みたいなサイクルや、自分の未熟さを客観視してそれによって成長するみたいな、スポーツというものの素晴らしさが詰まった回だった。
ゴルフは再現性のスポーツで、フィギュアスケートと通じるところはけっこうあるんじゃないかと思ってる。例えばサッカーとかバスケとかテニスって相手の動きに対応するという外的要因による不確実性があるけど、ゴルフやフィギュアスケート(フィギュアスケートはやったことないけど)はひたすら、自分が練習したことをできるかを問われるから、不確実性はすべて自分の中に存在している。これはどちらも異なる面白さがあるけど、一人でコツコツ上手くなれるところがゴルフとスポーツやりたい社会人の相性の良さだと思う。
「韓国風汁無し炒めヌードル チーズタッカルビ麺」というインスタントラーメンがあるんだけど、これめちゃくちゃうめー。久しぶりにかなり好きなやつに出会った。あんまり売ってないんだけど、近くのスーパーになぜかあった。
小魚とか小さい海苔が巻かれたせんべいとか、数種類のお菓子が小袋にまとめられたタイプのお菓子があると思うんだけど、私はあれも好きだ。味好み的なやつ。わたしはでん六の「味のこだわり」があの系統では一番美味いと思う。
https://huggingface.co/spaces/nanotron/ultrascale-playbook
huggingfaceのLLM学習のドキュメント、長すぎて笑った。京極夏彦か?
サク読みした感じだと、データパラレルはもう当たり前で、テンソル並列と呼ばれるテンソルを分解して並列計算させるやつ、シーケンス並列と呼ばれるドロップアウトやLayerNormの並列計算など。またコンテキスト並列では、モデル全体を分割して、アテンション層以外の並列にできるところは並列にしようというものらしい。 あとはCutlassやDeepGEMMがやってるデータ転送とデータ処理のパイプライン化。あとはスレッド間通信。
LLMエンジニアってこんなことできなければいけないの?という感想で、もう完全にモデルのアーキテクチャをコードにおこすというより、CUDAチューニング職人の世界になってる。メモリアクセスを減らすための不断の努力。計算機をうまく使うという行為はほとんどのプログラマにとって難しすぎるんだろう。
私はこれからのソフトウェアエンジニアは全員AIエンジニアになるという読みをしてるんだが、実際はAIエンジニアと、インフラ・計算機に強いパフォーマンスエンジニアになるのかもしれん。今で言うインフラエンジニアではなく、GPUとかクラスタリングに強くて、分散並列学習の設計と実装ができる人。CUDAの世界はコンピュータアーキテクチャと実装が密結合してるし、複雑すぎてコンパイラの自動最適化の実装があんまり進まないから。
CPUと事情が違うのは、CPUはそもそもそこまで複雑じゃないのと、コンパイラがOSSだからだ。
Pythonに型注釈を付けたがるムーブがかなり謎で、C++とかJavaでも書けばいいのでは、、と思ってしまう。コードが読みにくいのは読みにくいコードを書いてるからで、型の問題ではないと思う。
ポケモンのジオラマを購入。
早すぎる最適化とか、YAGNIみたいな、今必要ないけどいつか必要になるかもしれないものを作るのは辞めよう、というのは、割とソフトウェア開発のベストプラクティスとして知れ渡っているとは思う。これって正しいと思うんだが、一方でこれはあくまで現場レベルの話というか、そうも言ってられない状況というのがあり、それは半年とか1年とか3年とか5年とか、そういうスパンで計画を建てなければいけない時だ。自分がそういう立場にいて、そういう仕事をしなければいけないのであれば、早すぎる最適化のことは忘れて、未来予測をしなければいけない。未来予測はできないしうまくいかないんだけど、それをやらなければいけない人というのはいる。これを完璧にできる人はいなくて、どっちかというと腹をくくるとか胆力とかそっち系のスキルセットが必要になる。
こういう時どう考えればいいか。目線を完全に変えるというか、考え方を変えなければいけない。自分はソフトウェアを作っているのではなく、組織とかケイパビリティとかビジョンとか、そういったもっと大きななにかを作っているのだと思うこと。これは技術組織のリーダーやマネジメントが絶対にやらなければいけないことだ。未来予測でもいいし、未来を「こうしたい」という意志でもよい(これはどっちでもいい)のだが、未来を考える人がいないと困るのは現場だ。
ソフトウェアを書くという行為のほぼすべての時間は、対象とする領域がどのような構造を持っていて、どのように抽象化されるのかを考える時間に使われているなとふと思った。これができてしまえばプログラミングなんてすぐ終わるし、これができないといつまでも終わらない。
だから、プルリクエストベースの差分管理ってその意味では理想的じゃないんだよな。プログラムっていうのは全体で考えなければいけないから。プログラム全体が頭の中に入ってないとプログラムはどんどんおかしくなっていく。他にいいやり方があるわけではないが、、
久しぶりの友人に会った。友人と寿司を食うのはいいものだ。夏から海外に行くらしい。頑張れ!この日記を見てるらしいのでここに書くけど、頑張れ!
onnxって、鬼キスと書いてもいいんじゃないか?鬼とのキス。
アンドロイドのWeb版GitHubでインプレース編集ができない件は直したよとサポートが教えてくれた。ナイス対応に感謝。ありがたし。GitHubでもこのレベルの不具合がすり抜けてリリースされるのである。
例えばあるところに、生まれてから一度も部屋から出たことがなく、ベッドから起き上がって歩いたこともなく、何かを食べたり飲んだり、音を聞いたり匂いを嗅いだり人と話したりしたこともなくて、点滴を打たれて生かされている人がいたとしよう。しかしその人は膨大な時間を使って与えられた大量の (活字の) 本を読んでいて、自然言語の文法や文章の読み方は理解している。本の内容はすべて頭に入っている。例えばこの世にはネコという動物がいて、ネコは鼻や耳が良く、体が柔らかくて、雑食で、縄張り意識や独立心が強く、爪が鋭いことを知っている。でも猫を見たこと、触ったこと、声を聞いたことはない。
こういう人がこの世にもしいた場合、この人にとっての世界の全ては言語なわけだけど、LLMってまさしくこういうことだよな。この人ってネコのことを知ってるといえるのか?というと、私は言えないと思う。でも言語の世界において、もっと言えば大量のトークンのベクトルの世界において、誰よりも猫に詳しいように見える。こう考えると、LLMはAGIにはなり得なくて、世界モデルが必要だというのがわかりやすいのではないか。
というかむしろ、この世界を的確にベクトルにぶちこんでアテンションを取り出すことができるようになってしまったとき、人間ってこの世にいよいよ要らないなと思う。人間って生きるのに理由が必要というか、なにかに貢献して金を稼がないと生きていけないから大変だよな。
最近書いてたDeepGEMMに関するブログを書き終えた!
https://hidetatz.github.io/deepgemm/
これはマジで偉い!最後の方力尽きた感すごいけど!自分を褒めたい。 どうやって書き終えたかというと単に気合だ。
NVIDIA GPUの構造のあたりはけっこうちゃんと調べて書いたので割と良いんじゃないかなと思う。 CUDAとかGPUの概念図の解説はたまにあるけど、GPCやTPCという言葉すら出てこないし、そもそもどのアーキテクチャを対象として話しているのか不明なことも多く、けっこう謎なので、GPUに入門するにはこの記事はけっこう良いと思う。
最後の方にも書いたけどDeepGEMMを作った人はマジで偉いし、DeepGEMMはCUTLASSをかなり真似しているのでNVIDIAがかなり偉い。 私も頑張りたい。
数日前から訴えてる、AndroidのWeb版GitHubでインプレースなファイル編集が出来ない件だが、サポートの人も再現したらしい。そうなんだ、、という感想。GitHubの人でもこのレベルの不具合を見逃すんだな。
Antirezさんも言ってたけど、プログラムを書くのはただ単に製造業というよりも、ちょっとアートっぽいところがある。プログラミングは職人仕事で、でもそれが自動で製造可能なものに今なりつつある。
家具職人が作った一点ものの家具と、ニトリで売られてるどこでも買える家具の違いみたいな感じだ。でもプログラミングはアート性はあくまで作り手の話になる。家具のアート性は買い手の話だ。だからプログラムを工場で製造できるようになると、アート性という概念自体なくなるだろう。現代のプログラマの喪失感の正体はこれだ。失われたのは楽しいハッキングでも自分の食い扶持でもなく、アートなのだ。
「How a Software Architect Uses Artificial Intelligence in His Daily Work」を読んだ。
https://www.infoq.com/news/2025/02/software-architect-AI-LLM/
ソフトウェアアーキテクトがAIを仕事でどう使っているか自体にはそんなに興味はないんだけど、次の部分に結構感銘を受けた。Poupkoというのは喋ってる人の名前。
Humans do not really have a language model, they have a world model, Poupko said. Humans have an understanding of the world that consists of an understanding of how the objects in the world behave, and how they interact with each other. That world model is the result of many experiences and interactions, Poupko explained:
When we use spoken and written language to communicate about the world, that is only one representation of the world model and a very limited representation at that.
While it is true that a great deal of world knowledge can be captured in texts and in words, other parts of our world knowledge and world understanding are based on experience and cannot be properly captured in words, Poupko said. This is particularly true with situations that are highly contextual and where the person present is aware of the context, but where not all the context is verbal, he added.
人間は五感で世界を捉えるが、AIの世界はベクトルがすべてであって、この違いはもはや定義の問題に近い。LLMは賢く見えるけどやってることはトークンの予測でしかないというのは言うまでもなく真実だ。
最近読んだ「Our interfaces have lost their senses」にも似たような印象を受けることが書いてあった。
https://wattenberger.com/thoughts/our-interfaces-have-lost-their-senses
というわけで、これからは五感の時代になる。スマホを捨てて、旅に出る時間だ。
GitHubのweb版で日記がかけないのマジで困るのでサポートに問い合わせた。 ブラウザ変えてもだめなんだよな。困った。サポートはいい人っぽい。
NVIDIAのGPUのハードウェア的な構造についてまとめていて、だいぶまとまってきた感じがある。もう少しで公開できるはずだ、、 ただワープスケジューラのあたりは調べてもちゃんとした情報が出てこないんだよな。 ただ考えてみると、スレッドスケジューリングってGPUのパフォーマンスに直結する超大事な部分だからおいそれと公開しないのかもしれない。 GPUをちゃんと勉強するとCPUとかマジでシンプルだなという気持ちになると同時に、これはスループット出るわけないよなとも思ってしまう。 CPUが速いのはやっていることが少ないからで、GPUは色々やってる。
また急に寒くなって体調を崩しかける。
AntirezさんのWebサイトを見るのが好きで、別に内容は更新されないけどたまに見ている。彼の言うhigh engineeringの概念がいいなと思っていて、high engineeringしてる時間をもっと増やしていきたい。
この日記はGitHubで管理されていて、普段スマホのブラウザでGitHubを開いてブラウザ内のエディタで書いてる。ただなんかブラウザでのインラインエディタが開かなくなってしまって、ブログが更新できなくなってしまった。困った。
ホワイトデーなので妻にルタオのケーキあげた。ルタオのケーキめちゃくちゃ美味い。
最近また「SEKIRO」をやっていて、SEKIRO面白すぎる。今までやったゲームで一番好きかもしれない。 ダークソウルとかも好きなんだけど、レベルを上げたりビルドを考えたり装備を考えたりするのけっこう面倒で、SEKIROはそのへんが削ぎ落とされているのが良い。
そして、「中華三昧」というインスタントラーメンがめちゃ美味いことに気付いた。マジで。作るのも簡単だし。
ホワイトデーに間に合うように、北海道のルタオというブランドのドゥーブルフロマージュという激ウマケーキを発注したのだが、ルタオは今催事で関東にちょうど売りに来てるらしく、妻がそれを買いに行くとか言い出していて困っている。なんとか説得して止める必要がある(止めないと全く同じケーキが家に2つ存在することになる)のだが、冷静に考えて、普通北海道でしか買えないうまいケーキが近くで期間限定で買えるなら買ったほうがいいわけで、止める理由がない。ピンチ。
AWSのGPU最適化AMIってなんだろうと思ったが、NVIDIA DriverとかContainer toolkitとかNsight systemとかが最初から入ってるだけっぽい。
旅行に行きたいな。東北とか。人が少ない所が良い。
ソフトウェアが全部ニューラルネットになると、モデルを作ること以外でプログラミングする必要がなくなるので、プログラミング言語もほぼ不要になるわけだ。テンソルの表現力こそが重要で、コンパイルや実行が簡単なことが大事で、ボトルネックはどうせテンソル演算やメモリアクセスになるから、ランタイムのパフォーマンスもあまり考えなくて良いはず。プログラミング言語といえばDNNコンパイラ、となるのかもしれない。そう考えると、RustがいいとかCがいいとかそういう議論はなくなっていくのだろうか。
忙しすぎて全然日記が書けてなかった、、これは11日に書いてる。忙しくたって毎日5分くらいで書いてるんだから、5分も時間がないことなんてありえないのだが、私は怠惰なので書けないこともある。書けない自分の弱さを肯定していこう。
自分が誰に貢献するのか?というのをちゃんと考えないといけない。なんのために仕事してて、何を変化させるのか。
「メダリスト」というアニメを相変わらず見ていて、私は配信で見てるので金曜に更新されるのだけど、今週は神回だった。 フィギュアスケートの演技が3DCGで描かれるのがすごく良くて、アニメ化というか映像化する意味があるなと思う。 エマの努力が報われるシーンも良かった。
AIであれソフトウェアであれ工業製品であれ、人が何か便利なものを作るとき、そもそもその目的は、何かを自動化することであることが多い。この目的において、AIもルールベースもそんなに違いはない。
じゃあAIとルールベースは何が違うのか?と考えると、ルールベースは人間ができることを自動化するのに対し、AIは人間ができないことを自動化するってことだ。大量のデータを基に何かを予測するということ。
物体検出とか、セグメンテーションとかはAIじゃないのか?と考えると、個人的にはAIっぽくないなと言う感じがする。そもそもルールベースな画像処理はあるわけだし、あれは目的に対する手段として一番良かったのが、現代でAIと呼ばれている手法だっただけで、本質的にはルールベースに近いのではないか。 感覚的には、例えばオブジェクトディテクションしました、とか、セグメンテーションしました、だけだと単なるプログラムなんだよなと思っていて、した結果からなにかを提案しましたとか、そういう話になってくるとAIっぽくなってくると思う。
話は戻るが、人がなにか作るとき、目的に対するエンドツーエンド性というのがある。例えば皿を洗いたいとき、洗剤とスポンジを作るよりも、食器洗い機を作るほうが目的に対するエンドツーエンド性が高い。
エンドツーエンド性は汎用性とトレードオフの関係にある。汎用性を上げるためにはモジュラビリティが必要で、モジュラビリティを上げるとモジュールの結合を考慮しなければいけなくなるが故にエンドツーエンド性が下がる。食器洗い機は皿しか洗えないが、スポンジはシンクとか蛇口とかも洗えるのだ。
そして、AIがなにかを生成してくれる、そのコストが下がってくると、モジュールを作ることの価値が下がって、よりエンドツーエンドな目的を果たすものをはじめから作る方にコストメリットがある。そもそもモジュラビリティはなぜ必要かというと、人間が有限の時間で何かを作るには、既にあるものを組み合わせないと作り終わらないからだ。生成のコストが安いなら、人間が作る必要はないので、毎回ゼロから作ればよいだけだ。
なので、AIを使ってやるべきことは、プログラムの断片を生成させて自分の仕事を自動化することではなく、プログラム自体を、あるいはシステム自体を生成させることになっていく。
というのが個人や一企業の視点で、じゃあこれを社会に対して実現するにはどうすればいいかというと、一つは政府とかそういうレベルで基盤レベルを作ること、もしくは誰もが自分のモデルを作れるようにすることだ。私はこれがしたい。
今日も寒かったなあ。普通にかぜをひいた。 DeepGEMMの話まだ書いてるんだけど、せっかくなら普通のソフトウェアエンジニアが読んで勉強になるのがいいなと思っていろいろ前提知識から書いてるせいで全く書き終わるビジョンが見えない。こういうのは終わらせるのが大事なのだが、、 でもやっぱり書くのってすごく大事で、書くと自分の理解が甘いところとかが浮き彫りになるし思考が整理できるしものすごく勉強になる。書くのは大事だ。
寒すぎて体調を崩しそう。今はゴルフについてはインプットの時間と定めていて、寒すぎて練習に行けないのもあるんだけど、主に自分のスイングの改善点を頭で理解するということをしている。
今は単純に飛距離が課題で、おそらくリリースがうまくいってないというか、バックスイングでの加速が足りないし、手首をコックしたまま打ってしまっているからヘッドが走らないような状態だと思う。とはいえ独学での壁もやや感じ始めておりプロのコーチに見てもらいたくなってきてる。
雪がものすごく降ってびっくりした。土の上には積もったようだ。寒暖差性の風邪を確実に引くだろう。
CPUのプリフェッチについて調べていたんだけど、プリフェッチってものすごくブラックボックスな機能だなと思う。いつどんなデータがどこにプリフェッチされてるかもわからないし、それによってスループットが上がってるのかもよくわからない。おまじないのような機能だ。もちろんIntelのエンジニアがベンチマーク取ったうえで実装されてるものだとは思うけど、現実にはメモリアクセスは遅くて、自分でキャッシュのブロッキングを書かなければいけないわけで、プリフェッチって本当に意味あるのか?という疑問はそんなにおかしくないと思う。
プリフェッチは当然データ転送コストがかかるわけで、帯域幅を消費するし、消費電力も増えるし、間違ったデータを取ってくるとキャッシュを汚すわけだ。IntelのDCUとかのプリフェッチャーは適応型と言って、実行時にダイナミックにメモリアクセスパターンを読んで巧みに先読みし、それが合ってたかどうかのフィードバック機構から学習したりするらしい。凄いと思うけど、ものすごく複雑なことをしている割に恩恵が大きくないような印象はある。このへんもっと詳しくなりたい。
久しぶりにゴルフしなかった。体を休めてインプットをしている。 DeepGEMMについてここで書いてるんだけど、全然DeepGEMMにたどり着かなくてやばくなってきた。こういうのは終わらせるのが大事だ。
https://github.com/hidetatz/hidetatz.github.io/issues/250
文章を書くと、曖昧な理解が許されないから、知ってるつもりだったことをちゃんと理解してなかったことに気付かされて、ものすごく勉強になる、というのを人生で何度もやっている。だから私は文章を書くのが好きだ。誰も読んでなくても良くて、自分を喜ばせるために書く。
ゴルフ。43、49の92だった。ベスト更新。 そろそろベストを更新し続けられなくなってくる気がする。
今の自分のスイングを言語化しておこう。
私のスイングは「スパイラルスイング」と呼ばれる理論をベースにしているというか、ほぼパクっている。まずスイング (ショット) の目的はボールを飛ばすことだ。ゴルフはただ打つのではなく、数百メートル先の小さい穴にボールをどんどん近づけるスポーツなので、ボールを「遠くに」かつ「まっすぐ」飛ばす必要がある。
まっすぐ飛ばすためにはフェースの向きがスクエアなことと、クラブパスがインサイドインに入ることが必須条件になる。フェースの向きのズレは打ち出し方向のズレになり、クラブパスはボールが打ち出されたあとに曲がる方向を規定する。
遠くに飛ばすためには、基本的にはヘッドスピードを上げ、ベストな入射角でヘッドの芯にボールを当てる必要がある。
まずフェースの向きについてだが、ゴルフクラブはL字になっており、人間が手に持って作用するのはシャフト (L字の縦棒) だが、ボールにインパクトするのはヘッド (L時の横棒) である。また、ヘッドはかなり重い。そのためゴルフクラブの重心はシャフト上にない。このことにより、シャフトを持って素早く手を動かすとクラブヘッドはシャフトの動きに対して遅れながらついてくるような動きになる。 したがって、例えばボールを地面に置き、ゴルフクラブを地面と垂直に持ち、ボールにフェースを向け、そのままボールに向かってまっすぐクラブを地面と垂直のまままっすぐ動かすと、クラブヘッドはシャフトから遅れるので、ヘッドは動いている方向と逆側、シャフトの後ろにくるりと移動する。これは「フェースが開く」という動きで、当然ボールをうまくミートできない。
バックスイングし、トップからボールに向かってまっすぐクラブを動かしたとき、これと同じ運動が斜めの線上で発生するので、基本的にフェースは開く方向に動く。実際のスイングでは人間はシャフトをそれなりの力で握っているものの、1秒にも満たないスイングの中でフェースの向きをゼロにすることは物理的に難しいから、フェースが開いてボールが右に飛び出す。
これはクラブが斜めの線上を平行に移動するという、極めて単純かつ現実的ですらないモデルだ。実際人間は肩を支点としてクラブを回転させるが、このとき上から下への縦方向の回転と、右から左 (右利きの場合) への横方向の回転が同時に発生する。
(眠いので続きは後日書く)
明日はゴルフ。
DeepGEMMのコード読んでた。うちのGPUはHopperではないのだが、途中までは動かすことにも成功。
中身大体理解して、今内容まとめてブログに書いてるところ。乞うご期待。 Hopperの機能をフル活用しててすごいというのと、DeepSeekみたいな会社には、こういうレベルのエンジニアがいるのかというのが率直な感想。 CUDA自体に死ぬほど詳しい必要があるんだな。私もこういうコードを書けるようになりたいので勉強しないと。
aposd-vs-clean-code 読んだ。
https://github.com/johnousterhout/aposd-vs-clean-code/blob/main/README.md
A Philosophy of Software Designという本の作者と、Clean Codeの作者による議論をまとめたもの。 私はA Philosophy of Software Designが結構好きで、かなりいろんなことをこの本から学んだと思っているのですごく面白かった。
コメントの書き方や関数の長さなどいろいろ考えの違いがある点を議論していて、全体的には今の視点から見るとAPoSD側が優勢に見える。 でも、Clean Codeは恐らく現代よりもプログラミングの良いやり方をみんなが知らない時代に書かれたものなんだろうなという感じがした。 つまり解きたい課題がずれている印象。私はコメントを書きすぎているようなコードが結構好きだ。こういうのはプログラミング言語の機能、エディタの機能など 様々な要因で変わっていくのだろうなと感じた。
また、議論がお互いを尊重しながら率直で見習いたいと思った。
最近は首の調子が良くて嬉しい。
今この日記は全ての日記が同じページに表示されるわけだけど、数日前にそう変えたんだけど、ちょっと微妙だなという気がしてきてる。書く方も読む方も雑な態度にさせる気がする。別に読んでくれる人が雑に読むのはそれでいいんだけど、なんか読み飛ばしやすすぎるというか、どこをどう読めばいいのかがよくわからないような感じがする。書くときも、毎日ちゃんとそれなりの分量の文章を書こうという意識が薄れるような感覚がある。
「Management is not leadership, leadership is not management」というブログを読んだ。
https://www.mooreds.com/wordpress/archives/3516
「Management is not leadership」、調べてみると英語ではよく言うフレーズのようだ。これすごく端的でわかりやすい言葉でいいなと思った。私は以前「会社の考えなんて存在しない」という文章を書いたことがあるんだけど、言いたいことがすごく似ている。結局現場の解像度は現場が一番高いので、意思決定やアクションは現場が勝手に決めて勝手にやるのが良い。じゃあマネジメントの仕事とは何かというと、意思決定やアクションの考え方や進め方といったメタな部分に関するヒントを与え続けることだ。MVVとかはこのためにあるものだ。
でも難しいのは、技術者のマネジメントは現場の技術と不可分だったりする。特にマネジメントも以前は手を動かす技術者だったはずで、この辺がマネジメントを複雑にしている。開き直ってマネジメントに徹することは誰かがやらなければいけないけど、やるのはすごく難しい。
確定申告が無事に完了した。納税はまだ。 最近小麦を食べるのを減らすというのをやっていて、目的はアレルギー性鼻炎の改善になる。本当に改善されるのかはなんとも言えないが、割と効くという話を耳にすると思う。もし本当にアレルギー性鼻炎良くなるなら一生小麦食べなくてもいいと思ってる。でも完全にゼロにするのはすごく難しくて、なるべく減らすという感じになってる。
小麦を食べるのを辞めるとメリットがあって、何を食べるかを考える時間がすごく短くなる。外食でも米ベースのものしか食べられなくて、パン、ラーメン、パスタ、うどん、ピザとかは食べられない。そうなるとメニューで悩む時間が減る。これはけっこう嬉しい。
この日記では意図的に断定口調で何かを話すことがあるんだけど、これはなんとも言えない微妙さがある。「自分が正しいと思っていることが本当は正しくないかもしれないと考える」というのは知的態度として正しいけど、これは会話が冗長になるし、時には断定したほうがいい場面というのがある。不確実なことは脳に負担になるから、人は断定してくれる人が好きである。どうせ絶対正しいことなんてないんだから、自分の分かる範囲で断定するのも良いというか、話を整理したりシンプルにしたりするメリットの方を取ってもいいよなとおもう。
コンピュータは急速に発展したから、昔は性能とかコストの問題で必要だったものが今は必要ないということがよくあると思う。よくDNSはややこしすぎるというがそういう感じ。
動的リンクもそんな感じだなと今日ふと思った。PLTとかGOTとか出てきてややこしい割に、メモリが節約できたりするのが嬉しいだけ(だと思う)なのはあまりコスパが良くない印象がある。 現代はメモリが安いから、全部静的リンクにしたほうが楽だろう。 あまり、メモリがカツカツな割にいろいろなプロセスを動かすから動的リンクにしたいという環境が思いつかない(エッジとかだとプロセスそんなに動かさないと思うし)。
sakana aiのAI CUDA Engineerが発表されたのを見た。あれは単にAIで最適化したらさらに速くなりました、という話ではなくて、過去に施した最適化の履歴と、その時のベンチマークを次回の最適化のときにRAGさせることでどんどん速くなるということらしい。つまり、最適化って実際やってみないと本当に速くなるかわからないから、決め打ちで最適化するよりも動的にベンチマークして参考にする仕組みがあればいいという話だ。このアイディア自体はよくあるし、tinygradではそのためにビームサーチが実装されていたりするけど、それをRAGでやるのはなるほどなと思った。
CPU向けのコンパイラの最適化にも使えるかもしれなくて、PGOとかがやってるのはそういうことだけど、こういうのはAIで置き換え可能な感じがある。
この日記のレイアウトを変えて、全てが一覧されるようにしてみた。 やってみた感想としては、自分が以前書いた文章がより目につきやすくなるので「こんなこと書いてたんだ」的な精神的な負担が大きい。 夜中に書いた文章を朝に読み返したような感覚。
AI時代に重要な能力は何か?みたいな話で、AIを使いこなす力だとか言われることがあると思う。私としてはこれはそうでもないかなと思っている。 現状のAIの使い方は完全にツールであって、ツールはどんどん抽象化され、誰でも使えるように簡単になっていく。 今はプロンプトエンジニアリングとかRAGとか色々過渡期だけど、そのうちコモディティ化して価格も下がるだろう。こうなったときAIを使いこなす力とかいう概念はほとんど存在しなくなっているかもしれない。
人間が何かやるとき、大体次のようなステップになっている。
これは勉強とかスポーツとか仕事とかマネジメントとか、結構何にでも適用できる考え方だ。 さらにいうと、これらの① ~ ④の中に、さらに細かい① ~ ④のまとまりが内在していたりする。
このステップは大体どれもそれなりに難しいのだが、重要な点として、① ~ ③は自分でなくてもできるというのがある。 例えば仕事で言うと、マネジメントからフィードバックしてもらうことで③までは自動的に完了したりする。 スポーツでは、動作を解析したりするようなソフトウェアがあれば①や②までは完了するし、コーチがいれば③も (精度はともかくとして) 完了する。
重要なのは、④だけは自分でやらなきゃいけないということだ。④だけはアウトソースできなくて、愚直な試行錯誤とか、インプットとアウトプットの繰り返しという従来のエグゼキューションが必要になる。 EnbodiedなAGIとかができて、AI起点で何かやるようになるとこの前提も変わってくるだろうけど、人間が何かやる場合は④は自分でやらないといけない。
で、AIが発展すると、① ~ ③がAIに代行してもらいやすくなるし、その精度も上がってくる。でも④を自分でやらないといけないことは変わらない。 なので、AI時代に重要なのは、「実行すること」「やり抜くこと」「エグゼキューション」とかそっち系の能力だ。 これは今までも大事だったのだけど、AIのコモディティ化で④以外の差がつきにくくなってくると、④の重要性が相対的に増す。
2ヶ月ぶりくらいにランニングをしてみたところ首の痛みがだいぶ良くなり、やはり運動か、、となってる。人生は食事、睡眠、運動をちゃんとやるゲーム。マッサージとかよりも軽い運動のほうが体がしっかりほぐれる感覚がある。
この日記、けっこう数が増えてきたから見やすくしたいんだよなあ。1ページに内容が上からそのまま全部並んでる方がいいんじゃないかと思ってきてる。
なんかどうも調子が悪いというか、精神的に疲れてる感じがする。3週間くらい前から首を痛めてるのと、単純に運動不足とかが原因かもしれない。
「DTOPIA」読んだ。ものすごく乱暴に一言で言うなら、安易な多様性風潮の批判がテーマだと捉えた。でもあえていろいろなテーマを盛り込んでいるのも感じる。人種や性別の多様さは、それ自体が多様であるから多様なのであって、一面的な視点から多様性を語ること自体が自己矛盾的であり、そういうことをいろいろなテーマを題材に描いているというか。ただ、必ずしも批判ではなく、それが本来の人間社会だよね、みたいなドライさも印象としてある。オッペンハイマーは白人の懺悔映画だと論じる件は痺れた。
文章も面白くて、外国人が外国語で話しているのに日本語でアテレコをするのってよくあると思うんだけど、アレの書き方が面白い。地の文とセリフで文章のスピード感を使い分けているような印象でなんとなく惹かれる感じだった。
fly.ioのGPUに関するブログが面白かった。
https://fly.io/blog/wrong-about-gpu/
fly.ioはHerokuとかVercelのようなPaaSの会社(本人たちは「パブリッククラウド」と言ってる)で、GPUマシンを色々頑張って提供している。
このブログで述べられているのは、彼らがそれについて犯した間違いについて。「顧客はGPUマシンを欲しがってない」「彼らはただ(API経由で)LLMが使えればそれで良い」とのことだった。
「だろうな」感は強い一方で、この状況は変わらなければいけないと思う。人々はテクノロジー自体にアクセス可能であるべきで、製品ではない。技術自体をオープンにすることでそれらは勝手に発展することは歴史が証明している。
アメリカで始まった「TGL」という新しいゴルフリーグの存在を知ったのでU-NEXTで見てみた。いわゆるシミュレーションゴルフをリッチにして、現実ではありえないようなコースでトッププロがチーム戦をやる。アプローチとパターは本当の人工芝グリーンでやるというもの。
見た感想としては、やっぱシミュレーションゴルフってなんか違うんだよなと思った。アプローチやパターは面白い。シミュレーションゴルフって1回だけやったことあるけど、私は球を飛ばすのが楽しいので打ちっぱなしのほうがいいなと思った。
それはそうと、今日もゴルフの練習に行ったのだが、今日はほぼ素振りだけやってた。最近読んだ本に影響されて練習方法を変えたのだが、ゴルフはまず打ちたい打球があって、それを打つためのスイングがあり、そのスイングの打ち方をイメージして、そのスイングが本当に打てるかを確認するのが大切とのこと。徹底的に素振りでイメージを作って、たまに打つ、というのをやったところ、60球だけなのに3時間くらい使ってしまった。しかも死ぬほど疲れた。でも上達してる感覚がある。スポーツを練習して、上達するというのは嬉しいことだ。
またCを書いたりしてて、やっぱCってプログラムが動く仕組みを知る上ではすごく良いんだよなと改めて思いつつある。これはC++ではダメでCでないといけない。プログラムって結局はメモリ上の16進数を操るスポーツで、Cはやっぱやっとくと便利だなと思う。
スポーツと4D Gaussian splattingの相性は抜群だと思うんだよなあ。特にゴルフや野球など、同じ場所でなにかアクションをして、そのアクションの姿勢やフォームが重要なスポーツ。カメラがたくさん必要だし位置合わせとか大変なんだけどやってみたい。Gaussian splattingって本当にすごい技術だなと思う。数式は全然理解してないが。
RubyのFFIを高速化するみたいなのを見て、プログラミング言語の未来というか完成形ってこの方向なんじゃないかと思った。Rubyは内部ではlibffiを使っているけど、libffiはdlopenとdlsymでsoからポインタを抽出している。これだとPLTやGOTを経由するオーバーヘッドがあるし、メモリのローカリティの問題も出てくるというのはJITコンパイラでよくある問題だ。じゃあどうすればいいかというと単にオブジェクトファイルを自力でメモリ上に展開して実行可能にして実行すればいいという話になる。これは確かRubyのYJITはすでにこうなっているし、PythonのJIT(LLVM JIT)も多分こうなってる。確かtinygradもこれをサポートするような変更がいつか入っていたはず。ソフトウェアをビルドするのはダルいから、実行時にプラットフォームとか計算機に自動で最適化された形でJITされてそれがゼロオーバーヘッドで呼び出してもらえると嬉しい。あと通常ソフトウェアはだいたい似たような感じで動くので、AIでの最適化もできるようになるはず。もうちょいちゃんとまとめたい。
ゴルフの打ち方を全く変えてみてる。この動画を参考にしてる。
https://m.youtube.com/watch?v=b_AfG0BfJto
これで6Iを試したところトータル175〜180ヤードくらい飛ぶようになってきて、かつ曲がりも少なくなってきた。
胸郭から動かす動きも入れ始めてるのでそっちが効いてる可能性もあるんだけど、今のところいい感触なので練習を続けるつもり。
ただ、この打ち方だとドライバーがうまく打てない。たぶん体が沈んでしまっているので明日直す。
最近C(というかCUDA)を書きまくってるんだけど、やっぱCはなんか好きだなと思う。プログラムがどう動くのか大体理解してるつもりなんだけど、プログラムがどう動くのかだいたい理解してる人はCは嫌いじゃないんじゃないだろうか。オートマ車よりマニュアル車のほうが運転してて楽しいのと似ている。ただしマニュアル車で長距離運転とかはしたくないし、そういうところも似てる。
Cってやっぱり文字列周りが致命的なんだよな。コンピュータは文字列を扱うものではないのだ。
「誰も読まないのだとしたら、なぜブログを書くのか?」というブログを読んだ。
https://andysblog.uk/why-blog-if-nobody-reads-it/
私のように誰も読まない日記を毎日書いてる者にとってはいい話だった。ブログは自分のために書くんだよという話。文章を書くことは言語化の強制なので、思考の整理とかには役立つよな。このブログにアクセス解析機能とかをつけてないのも、読み手を意識しすぎたくない(読み手がいないことに向き合いたくないことも含む)感じかも。
ゴルフが全然上手くならなくてしんどい。練習場でうまく打てないとき凄く惨めな気持ちになる。実際はそんなに下手ではないはずなんだが、、
トランスフォーマーのエンコーダ・デコーダって変な言い方というか、命名に失敗しているような感じがある。だって、ソフトウェアって全てエンコードしてデコードするものだろう。例えば画像を入力する層だって、人間の視界というアナログなものを計算機で扱える画素値のテンソルにエンコードしているわけだ。Hello worldの出力も、計算機はアルファベットなんて知らなくて、ただユニコードのコードポイントを扱っているだけだ。
基本的にすべてのソフトウェアは、エンコーダとデコーダでできている。そして、あるエンコーダの中には、その目的を達成するための小さなエンコーダが複数あり、その中にはさらにもっと小さなエンコーダがある。デコーダも同じだ。なのでトランスフォーマーの使っている言葉はやや違和感はある。
なんと2日連続でショートコースへ。あまりスコアは良くなかった。
今は出玉の安定性が課題で、構えたとおりにまっすぐ飛ぶことが少ない。右に出ることもあるし左に出ることもある。ショートコースだとそれでも寄せ1でパーが取れたり取れなかったりなのだが1オンを増やさないといけない。というか全ホール1オンするくらいが理想。
でも普通に考えると出玉を安定させるのってめちゃくちゃ難しいはずだ。Dプレーン理論によれば出玉の方向はフェースの向きによって決まるけど、普通に考えるとインサイドインのスイングの中でフェースの向きがスクエアなのって一瞬しかないはずだから。本当に機械のように全く同じスイングを毎回しない限りは出玉が安定することはないだろう。つまり、スイングの中でフェースがスクエアな時間を増やす努力が必要なはずで、実際プロはインパクトの30センチ前の時点からスクエアらしい。
じゃあそれにはどうすればいいかというと、クラブがなるべく後ろの方から来るというか、スクエアになっている時間を作るための余裕が必要で、そのためにクラブをグリップエンド方向に引いて倒すとか、そのためにクラブは指で引っ掛けるとかいう三觜TV(そういうYouTubeがある)の理論があるんだな、とわかってきた。前は意味がわかってなかったけど、最近わかってきてて楽しい。
休みなのでゴルフのショートコース。しかし風が強すぎ&寒すぎで一回りだけした。その後道の駅でご飯を食べて、銭湯に行って帰宅。老後のような一日。この日記も10日に書いてる。
「Data-Centric AI入門」を読んでみている。
なんか急激に日記を書くやる気が消失して、この日記は10日に書いてる。
首の痛みが取れなくて困っている。もう一回整形外科に行ってみたのだが、まあそのうち治る(骨に異常があるとかではない)と言われた。これは近所のゴッドハンド整体院に行くべきか。
最近ラップトップをモニターに繋ぐことも(面倒なため)していないのだけど、姿勢が多分悪いのだろう。人間はパソコンやスマホを見る想定で作られていない。座れば座るほど寿命が縮むとか言うし、どうすれば、、
CUDAのAPIって非常に良く出来てるなと思う。既存のツールや仕組みとうまく適合するし。地味にドライバAPI、ランタイムAPIという分け方が秀逸。ドキュメントもちゃんと書かれているし。そりゃあNVIDIAが一強になるよなという感じがちゃんとある。
今後も一生読み続けるだろうなという技術書はBINARY HACKSだろうなとふと思った。私はバイナリのことまだ全然わかってない。
なんか最近やたら忙しい。腰を据えられている感覚があまりないかもしれない。全然書き忘れてたので短めに。
https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/113315/2
K-POPやアイドルというシステムの“問題”は、「成熟する時間を与えてくれないこと。音楽制作を続け、何かをやり続けなければならない」ことだと語った
「音楽や仕事だけのことではないんです」と彼は付け加え、この10年間で“人として”変化したことも指摘した。「一人で考え、一人の時間を持つことで、その考えが自分らしいものに成熟していくのです……私は物理的にこれ以上成熟できません」と述べた。RMは、もっと世の中に貢献するべきだと現在感じているが、それが何なのかよくわからず、自分が誰なのか、そしてBTSがどうあって欲しいのかを見極める時間が必要だと説明した。
BTSが活動休止するときに、RMというメンバーの人が上のようなことを語っていたのを今もたまに思い出す。
インプットやアウトプットをしている時間は重要なんだけど、何かをやり続けている限り、人は成長はしても成熟はできない。私の30代では、この成熟について言語化したいのかもしれない。
5090がなかなか買えないようだけど、みんな何のために買うんだろう?ゲーム用にもまずオーバースペックだろうし、GPGPUとしては良いけどLLMとかにはまず使えないだろうし。と言いつつ私も買うか悩んでる。そろそろ3060からは変えるべき時。GaLoreでのガチ事前学習とかやってみたいけど実際は全然動かないんだろうなという気もする。
Metalについて最近勉強しているんだが、細かい文法が違うだけでセマンティクスはほぼCUDAなので、CUDAがそのまま動くようにしてくれればいいのになと思った。AMDはそのあたりわかっている。 またObj-C経由で動かすのとかもかなりめんどい。普通にC互換でいいのでは。
ゴルフ。ショートコース。
ゴルフ場の看板猫。
「方舟」を読んだ。素晴らしいの一言。映画化してほしい。これはちょっとネタバレしたくないので詳しいことは書かないけど非常に面白かった。今のところ今年読んだ本ベストだな。
「メダリスト」というアニメを知っているだろうか。
漫画が原作になっており、今毎週テレビ放送されている。
主題歌が米津玄師なのを知って、興味を持ってU-NEXTで先程見てみた。今は4話まである。4話見た。
見た結果。「推す」という言葉の意味を、肌で感じることになった。初めて「推す」という感覚を実感した。今日からいのりさん推しです。
主人公のいのりは小学5年生で、フィギュアスケートに強く憧れ、情熱と確かな才能を持つ少女だ。しかし、とある事情で母親からフィギュアスケートを始めさせてもらえていなかった。しかし、こっそりスケートリンクのおじさんと仲良くなって無料で滑らせてもらっており、最初の時点で滑ることは普通にできる。
アイスダンスで全日本大会に出るほどの実力のある司と出会い、司はいのりのコーチとなる。
そして、フィギュアスケートをやる機械のように育てられる天才や、フィギュアスケートがめちゃくちゃ上手いけどムカつく金持ちのガキなど、個性豊かなメンバーと出会いながら、目標であるオリンピックのメダリストを目指す、というのが基本のストーリーだと思われる。
また重要な点として、いのりは勉強もスポーツもできず、コミュニケーション能力も高くない。友達も少ない。家庭に問題があるような感じではなく、本人の性格や能力の問題であると思われる。
まず、フィギュアスケートとはどんなスポーツなのか?私も詳しいことは知らないのだが、見ていると次のような点が重要だと思われた。
スポーツ漫画やアニメは数あるが、やはりチームでプレーする競技が多いと思われる。フィギュアスケートでは仲間と一緒に努力するという場面は少なく、その分自分自身と向き合うことにフォーカスしたシーンが多い。そこで必然的に、一人の人間としての成長を描くことが多い。
また、試合になるとあの広いスケートリンクに一人で立ち、孤独に演技をしなければいけない。コーチは外から見守ることしかできず、声をかけることすらできない。
自分はどんな人間で、どんな問題があって、本当はどうなりたくて、そのためにどんな努力をして、周りはどう思っていて、自分はそれに対してどう思って、、といった心の動きが、孤独なスケートリンクの上で爆発する様はかなり心を動かされるものがあった。
全体的に、いのりという選手の自立をテーマにしているところがありそうで、今後もどんなふうに成長し自立していくのかがかなり気になる。
かなりおすすめです。
仕事で都内に行ってた。もう都会と関係ない人生になったなと思う。
最近あまり書くようなことがないな。本も読めてないし、インプットが足りてない。時間がない感覚だ。
なんか首が痛いんだけど、普通に炎症を起こしてるらしい。枕の高さを低くしてみた。
Webシステムや、その開発プロセスってやっぱ異常発達してるよなあと思う。コードレビューとかペアプロとかCICDとか、プログラミングで何を作るかではなく、どう作るかがマジで発達してる。
ずっと首と頭が痛くて死にそう。睡眠時の筋肉の緊張が原因かもしれない。
計算機に計算をさせることにしか興味がないかもしれない。単にサブルーチンをさせたり、メモリアクセスを待たせておくのではなく、死ぬほどキャッシュヒットさせながら何かの演算を常にさせていたい。ヒリヒリするような仕事ってそれかも。
書くの忘れてた。なにかしたかな?仕事しかしてないような気がする。
ソフトウェアのドキュメントと業務のドキュメントって混同されがちかもしれない。
私はソフトウェアのドキュメントとして最も優れているのは、注意深くメンテナンス、レビューされたコードとそのコードコメントだと信じている。
業務とシステムはイコールではなくて、業務にシステムが依存しているという関係がある。なので業務のドキュメントがまず必要で、それを実装するソフトウェアがあり、ソフトウェアの理解を助けるためにコメントがあるのだけど、現実的にはソフトウェアのドキュメントがそのまま業務のドキュメントになってることが多いのではないか。
また、現代のシステムは複数のソフトウェアで成ることが多いのだけど、これは本当に厄介だ。なぜなら、複数のソフトウェアには複数のドキュメントが付属するけど、業務は一つしかないからだ。こういうときは、まず業務のドキュメントが必要で、それを参照する形でソフトウェアのドキュメントが必要になる。
「この子は邪悪」見た。これめちゃくちゃ傑作なのでは、、非常に面白かった。
事故で医師の父は足に障害を負い、母は植物状態、次女は顔に大火傷を負い仮面をつけて生活しており、長女だけが無事だったところに、母が奇跡的に目覚めて家に帰ってくる。しかし、病院に行くと母はまだ目覚めていなかった。帰ってきた母は偽物に違いないが、何故か母しか知らないはずのことを知っており、、みたいな話。
終盤がめちゃくちゃ長く感じるがひとつひとつ回収してくれるのが良かった。タイトル回収も良い。キャストはもっと無名な人でやるほうが良いのではないかなと感じた。
暇な夜に見るのにかなりおすすめ。
車検に出してる車が、書類の不備で引き渡しが2日遅れるらしい。結局8日かかったことになる。なんていい加減なんだ、、もうこの店に訪れることはないだろう。
車がないとすごく狭い世界に閉じ込められているような気持ちになる。めちゃくちゃ田舎に生まれて、都会に憧れながら過ごす高校生とかってこんな気持ちなのかも。
トレインスポッティングを見た。教訓めいたものではなく、痛快ないい映画だった。
気付いたら4日ほど家から出てないことに気づいた。車が (車検で) ないとこうだ。スーパー行った。
ファスティングを1日おきに続けているんだけど、ファスティングをしてるとスーパーが楽しくなくなる。
プログラミングとは何かというと、現実世界の出来事を、計算機が実行可能な命令シーケンスにエンコードすることだ。なので、プログラムは現実世界の抽象表現そのものと言えるし、プログラミングとはその抽象化のプロセスそのものと言える。
抽象化とは、物事の着目したい点を抜き出して、モデルとして定義することだ。定義するためには呼び方が必要で、プログラムにおいてはそれは変数名、関数名、クラス名、モジュール名、ネームスペース、パッケージなどのことである。
いつか書いたような気がするが、抽象化の目的は効率のため、もっというと時短のためだと考えている。抽象化しないとコミュニケーションは煩雑で仕方ないのだということはなんとなくわかると思う。
プログラミングする上で私が重要だと考えているのが、この抽象化を適切に行うことだ。
抽象化を適切に行うというのは、抽象化の度合いを適切なものに設定することだ。抽象化の度合いが低いプログラムというのは、単一のパッケージの単一の関数にすべてがハードコードされ、マジックナンバーがいっぱいあるような状態。抽象化の度合いが高いプログラムは、責務が分割され、中身を知らなくても概念さえ知っていれば正しく使えるような状態。
これはどちらがいいというものではなく、単に抽象化の度合いが異なるだけだ。自分専用の書き捨てのプログラムと、100人のプログラマで10年間保守しなければいけないプログラムでは、どのくらいの度合いで抽象化するべきかが全く異なる。その度合いを見誤ると、超変更に弱いコードになったり、逆にオーバーエンジニアリングになったりする。
この、抽象化の度合いをどう適切にするかの方法論はあまりいいものがなくて、熟練したプログラマの勘と経験で決まってくることが多いのだけど、一般論としてはどちらかというとオーバーエンジニアリングを避けるほうが重要とされることが多いと思う。
逆に、どう抽象化するか?という知識は割とコモディティ化している。それはリーダブルコードとか、デザインパターンとかそういうやつだ。でも抽象化の度合いが適切なのか?を知る方法はよくわからない。
よくわからない中で、これが大事なんじゃないかなと思っているのは、「名前をつける必要がないものに名前をつけないこと」だ。
名前をつけるという行為は抽象化そのものだ。名前がないと、それがどんなものかを知るためにはそのものを深く知ろうとしないとわからない。しかし名前をつけることで、名前で認識できるようになる。名前をつけることで、その中身をぼんやりとしか認識できなくなる代わりに、名前という共通言語を持つことになるので協働のスピードを上げることができる。
なので、名前をつけすぎるとそれは「抽象化のやりすぎ」になり、それはオーバーエンジニアリングそのものだ。
例えば、マジックナンバーを変数に出しましょうとか、メッセージを定数に出しましょうとかそういうプラクティスがある。これは、マジックナンバーやメッセージの文字列に名前をつけて抽象化しましょう、という話だ。でも本当にそれは必要なのか?
抽象化は本来けっこう難しい。本当に抽象化の対象をよく理解する必要がある。さらに、仮に理解が正しかったとしても、間違った抽象化をしてしまうこともある。プログラミングでは、間違った理解、間違った抽象化、さらにそもそも間違ったプログラム、そしてシステム要件の変化によって基本的にコードベースはカオスに向かって緩やかに近づいていく。
プログラミングにおいて名前をつけるということは、その名前以上のことを知らなくても良いですということを、書き手以外のプログラマに伝えることを意味する。例えばある処理を関数 (サブルーチンのこと) に切り出すとき、切り出された瞬間からその処理は関数名で呼ばれることになり、関数名でこの世界に認識される。
そもそもなぜプログラミングにおいて抽象化が重要かというと、それはプログラムと抽象化の相性の良さに理由がある。プログラム、もっといえばソフトウェアは、一度書いたものを書き直したり、すこしずつ改造したりすることができるという、とてつもなく大きいメリットがある。ハードウェアという一度製造したら基本的には変えられないものと違って、これはあまりにもコスト削減効果が大きい。FPGAとか、エミュレータとか、電子書籍とか、この特性を活かしたものはたくさんある。 なので、必然的にプログラムは、将来に渡って変更され続けることになる。この「なにかを変更する」という行為において、抽象化は絶大な力を持つ。それは、「抽象化すると、具体的な中身が変わっていても、認識を改めなくてよい」という抽象化が持つ特性からなるものだ。機械がモデルチェンジしても、今までと同じボタンを押せば起動するとか、中の人間が変わっても、同じ部署に仕事を依頼すればいいとか、そういうことがダイレクトに時短につながる。プログラムでも、モジュールの実装が知らない間に変わっていても、同じ名前と同じインタフェースで呼び出すことができる。これが「変化し続ける」プログラムと抜群に相性が良い。
しかし、逆に言うとプログラムの中でなにか名前をつけるとき、それは「中身が変わるのかもしれない」ということをプログラムの読み手に伝えていることになる。
名前のついていないプログラムは、中身は決して変わらない。それは、名前がついていないからだ。例えばReadしてWriteするプログラムを書いたとき、それに名前をつけなければ、そのプログラムはあなただけのものだ。名前をつけると、それは「プログラムを書くみんなのもの」になる。これは本質的にグローバル変数と同じなのだ。
なので、プログラムは基本的に、名前のついている部分から壊れていく。みんなのものだからだ。名前がついているということは、中身を変えていいということなので、壊れるチャンスがものすごく増えてしまうのだ。名前をつけていない部分は決して壊れない。あるいは、その名前が指すものが小さければ小さいほど、壊れるチャンスも少ない。小さいものを壊すのは難しいのだ。
この話がわかっていると、よく何も考えていないやつが設定したリンターとかが、「この関数は大きすぎるので分割してください」とか「循環的複雑度が閾値を超えているので直してください」などと言い出すときがあるが、これらが以下に的外れかがわかるだろう。プログラムの抽象化レベルを適切に保つためには、不用意に名前をつけないことがすごく重要で、これがオーバーエンジニアリングを避けることに直結する。
実は今車を車検に出している。タイヤを2本交換しないと車検通せないというのと、ブレーキパッドの交換タイミングが重なったのでだいぶ高くなってしまった。
高いのはまあ仕方ないから良いんだけど、5日もかかる上に代車がないとのことで、今妻の車でないとどこにも行けなくて困っている。次回からここに車検は頼まないかな、、という感じがある。というか見積もりだけ取って辞めればよかったな。
今日はファスティングしてないので昼に麺神の油そば食べた。「つるみ」とかいうわけのわからない言葉を見た。
「世界最強のファスティング」を立ち読みで読んでファスティングに興味を持ったのでやってみた。36時間ファスティングというやつで、前日の夕食後、寝て起きてから1日何も食べず、翌日の朝食から食事を再開するもの。水を飲みまくったおかげで頭痛とかにはならなかった。空腹はまあまあつらいが、慣れれば大丈夫な気もした。食事をしないと、仕事を休憩するタイミングが一切ないのでやたら疲れてしまうのは反省点だった。
健康、体重減少、アレルギーの改善などに効果があるらしい。アレルギー症状がひどいので改善したら嬉しい。もう少しやってみようと思う。
佐藤究ちゃんと読みたいと思い、デビュー作の「サージウスの死神」読んだ。 けっこうちゃんと考えながら読んだけど難しかった。私は純文学を読むのがそこそこ得意だと思っていたんだが、そうでもないのかも。佐藤究の本は一文が短くて、スピード感があって読むのが気持ちいい。後つまらないわけじゃなくてめちゃくちゃ面白かった。私はパズル的に読もうとしすぎてるのかもしれない。
そして、澤村伊智の「怖ガラセ屋サン」も読んだ。こちらはエンタメっぽい感じ。澤村伊智は安定して面白い。
昼ラジオを聞いてたらスラムダンクの話をしていて、久しぶりにスラムダンクについて考えた。
私がスラムダンクで一番好きなキャラクターはゴリ (赤木剛憲) だ。スラムダンクはゴリのための物語であるくらいに捉えている。以下私のスラムダンク論を恥ずかしげもなく披露するがもしかしたら記憶違いなどがあるかもしれない。
まず、ゴリはバスケ部に入った当初はバスケが上手くなかったのだ。確かドリブルが下手だったという描写があったように思う。3年になってこそ大学からスカウトが来てたりするが、基本的には三井や流川のようなナチュラルなバスケの才能に恵まれた選手ではなかったのだと思う。体格やパワーという大きなアドバンテージはあったが。
メガネくんが、1年の時のゴリは下手だったと回想するシーンで、確かゴリは自分が下手なことを恥ずかしそうにしていたし、周りにもバカにされていたような描写があったと思う。この、「バスケが下手なことは恥ずかしいこと」というのはゴリの価値観のベースになっていると思う。ここは後でまた触れる。
しかし、ゴリのすごいところはストイックに努力ができることで、練習量は誰よりも多いのだと思う。ゴリは天才ではないが、ストイックに努力していつのまにか一番になっているようなそういうタイプだ。
ここで着目したいのは、例の「お前とバスケやるの息苦しい」のシーンだ。ゴリは何故真面目に練習しない部員に怒ったのか?本来部活の練習を真面目にやるかどうかなんて個人の自由だ。練習に来てるのに不真面目なやつを叱るのはともかく、そもそも練習に来ないやつにキレて投げ飛ばしてもなんの意味もないだろう。 ここで私が唱えたいのは、ゴリは「努力ができる人間特有の驕り」があったということだ。ゴリはストイックに努力する才能がある。こういう人間は、辛く苦しいことをひたすら我慢してできるというより、辛く苦しいことをやり続けていること自体が気持ちよくてやっていることが多い。ゴリは「下手だった自分が努力してキャプテンにまでなった」という成功体験がある。ゴリは無意識のうちに、「努力しない他人を見下す」という行動を取ってしまっていたのではないかと思う。
マネジメント論としては、ゴリがキャプテンとして練習を真面目にやらない部員に対してやるべきことは放っておくことだ。やらないやつに時間をかけても仕方ない。仮にそれではメンバーが足りないとすると、やるべきことは採用だ。そして彼らを放っておかないのであれば、基本的にはやる気を引き出すことでしか状況は改善しない。例えば褒めること、目標を立てて練習に付き合うことなどだ。
高校生にそんなことできるのかとも思うが、例えばメガネくんがキャプテンだったらこういうことを自然とやりそうな気がする。つまり私は、ゴリはスポーツチームのキャプテンに向いているタイプの人間では決してないと考えている。私が顧問なら、メガネくんが優しいキャプテンで、ゴリは怖い先輩、という体制を作ると思う。
やや話がそれたが、ここで言いたいのはゴリは「やらないやつを見下す」タイプ、あるいは「何故他人が努力しないのかわからない」タイプだ。こういう人は現実にもいる。「自分が努力してできるようになったのだから、他人もそうすべきである」と考えていたのだと思う。これは明確に間違っているというか、かなり未熟な考えだがゴリはもともとこういう性格だったのではないかな。
もう一つ、ゴリは全国制覇したいと常々言っていた。私が疑問なのは、これはどこまで本気だったのか?ということだ。
はっきり言って、ゴリが2年の時までの湘北が全国制覇できる可能性はまずないだろう。3年で三井や流川を擁するようになってさえ、基本的にはほぼ不可能と考えるのが正しいと思う。スポーツ漫画だから不可能を可能に描くとかそういう話ではなく、ゴリがどういうつもりで全国制覇と言っていたのかという問題だ。
結論から言うと、私はゴリは本気で全国制覇できるとは思ってなかったと思う。ゴリはそこまで馬鹿ではない。全国制覇したいという気持ち自体はあったと思うが、本気でできると信じられてはいなかっただろう。
なぜなら、本気でそれだけの高い目標を立てて実現するつもりがある人間が、練習を真面目にしないチームメイトにキレてぶん投げるという行動に出るとはどうしても思えないからだ。ゴリは頭悪くない (という描写もある) し、少し考えれば、仲間を集めないと本気で全国制覇なんて不可能だと分かるのではないだろうか。私はゴリが不器用だったからそんなコミュニケーションしかできなかったというのは単純すぎるのではないかなと思う。
さらに突っ込んだことを言うと、ゴリは別に全国制覇できるとは本気では思ってないばかりか、それを「真面目に練習をしない部員」に他責していたのだと思う。「自分は全国制覇に向けて本気で努力して上手くなった、練習しない部員に怒りもした、しかし全国制覇できなかった」というストーリーは、懸命に努力した自分を肯定し、目標を達成できなかったことを他人のせいにできる、そんな心の弱さに都合の良いものだ。
この「努力ができてしまうがゆえの驕り」と「チームが強くならないことの他責」がゴリの未熟さだ。そしてスラムダンクは、ゴリがこれらの自分の弱さを乗り越えて成長する物語だ。
さて、3年になって三井や宮城、流川や桜木が仲間に加わった。ゴリは最初めちゃくちゃ桜木がバスケが下手なことを馬鹿にしていた。普通に考えて、バスケ部のキャプテンが、未経験者の1年がバスケが下手なことを馬鹿にするのって割とあり得ないことだ。これは、自分が下手だった1年のときに受けた扱いの裏返しだと思う。
徐々にチームらしくなっていく湘北バスケ部に対して、ゴリが覚えたのは頼もしさというよりも焦りだったのではないかと思う。努力しない部員にキレていた頃とは違い、周りは練習するのが当たり前で、しかも死ぬほどバスケが上手いメンバーが集まっている。
ゴリは、自分が別にバスケが上手くないこと、自分は天才ではないことをよくわかっていたと思う。それでも自分はキャプテンで、センターという精神的支柱のようなポジションだ。本来キャプテンシーに溢れた人間ではないゴリにとってこの状況はしんどいはずだ。自分より優秀な人間を引っ張らなきゃいけないのはすごく難しく苦しいことで、ゴリにとってはこれまでと全く置かれた状況が変わってしまったのだろう。相当大きなストレスがかかっていたと思う。
そしていよいよ山王戦だ。ゴリが涙を流すシーンが、私の中でのスラムダンクのベストシーンだ。このシーンは、「誰に言われるでもなく、自分が勝ちたいから勝手に練習する仲間」と、「自分よりもバスケが上手いメンバーが多くいる中で、初めて自分自身のバスケの能力の低さが問題になる」という、おそらくゴリにとって経験したことのない状況に陥る。この2つは前述したゴリの未熟さを嫌と言うほど見せつけられるシーンでだ。
ゴリは今まで、誰よりも努力して、その結果としてチームで自分が一番バスケが上手かったのだ。負けるときは常に周りのせいで負けていた。自分の実力が問題になったことなどこれまでなかった。だからこそ安心していられたのだ。自分は懸命にやってるのに、周りのせいで負けてしまう、これはゴリにとって凄く楽で、あまりにも居心地が良かったのではないか。
そして、周りに助けられていること、自分の努力なんて大したことはないのだということ、自分はキャプテンとして不完全なこと、過去の周りの部員への自分の態度が不適切だったことなどを試合中に悟って、それ故の涙なのではないか、というのが私の仮説だ。つまりメガネくんが「仲間がいることで安心したんだな」的なことを言ってるのは、間違ってはないが一部であり、全てを悟ることはメガネくんですらできなかった、そんなゴリの微妙な感情を描いたのがあのシーンなのではないかと考えている。
さて、このようにゴリはストーリーを通して大きく成長した。湘北のメンバーは基本的に、ゴリ、桜木、三井が大きく人間として成長し、流川と宮城はあんまり成長はしてない。
ゴリと桜木・三井の成長で異なるのは、成長のベクトルがゴリは他人に向いているが、桜木と三井は自分に向いていることだ。桜木は、ただのヤンキーだったのがスポーツマンに成長する。三井は怪我をして時間を無駄にしてしまった後悔と向き合えるようになる。しかしゴリは、自分の未熟さや、間違った間違いに気付くという方向に成長していて、これは自分の内面だけでなく、周りに対する態度として成長しているのではないかなと思う。ゴリが卒業後どうしたかは描かれていなかったような気がするが、仮に大学でバスケを続けていたとすると、今度はすごくいいキャプテンとして、周りから信頼を集めるのではないかなと思う。この、成長の方向性が外向きなことが、私がゴリを一番好きな理由だ。
さて、書いてみたら妄想全開というか、考えすぎ感はすごい。ゴリは普通に、本気で1年の時から全国制覇を愚直に信じていたような気もする。ただ不器用な性格なだけだったのかもしれない。私はゴリが泣くシーンが好きすぎるからここまで妄想が広がったが、他にもいろいろな見方はあると思う。
browser-useというのがとても便利と言われてるけど、たぶん似たようなのをGoogleがそのうちChromeに組み込んてくるんじゃないだろうか?そうなったら勝ち目はないというか、そういうことをやらせたらGoogleは最強だろうなという感じがする。
いろんなエンジニアの話を聞いてると思うのだが、なにか目的を達成するために、なるべくエンドツーエンドにAIを活用するという発想ができる人は少ない。今自分がやっていることの局所的な自動化に発想が固定化されていて、業務プロセスそのものを設計できる人はほとんどいないんじゃないかなと思う。これは業務マネジメントという分野とAIという分野の専門性があまりにかけ離れてしまっていることと、そして世の中の潮流がOpenAIのAPIをいかにうまく使うか?という方向に向いてしまっていることが原因だろう。私は普通のソフトウェアエンジニアが、普通に買える計算機で自分のモデルを学習できるようにしたいと思うし、そのための仕組みを作ることがしたい。
麺神のインスタントラーメンを食べてみたんだけど、これが店で出てきてもなんの疑問もないな、という感じで美味かった。価格は高いんだが、、 でも少し前に食べたオホーツクの塩ラーメンというやつのほうが美味かったな。あれはすごい。
ルラボのヒノキのシャンプーを買ってみたんだが、全然ヒノキ感がなくて残念だった。お試し用の小さいやつを買っておいて良かった。やりたいことはわかるんだけど、これはヒノキの香りの商品を買う人の期待値とはずれてるだろ、という感じだった。
私はスキンケアにはずっと無印の敏感肌用化粧水、乳液のさっぱりタイプを使っている。シートマスクも含め色々試したんだけど、結局これがコスト、使い心地、入手性などトータルで一番良かった。洗顔はルナソルのジェル洗顔を使っている。これで勝つる。
久しぶりにゴルフの練習。しばらく練習できてなかったけど、何故か上手くなってた。私はこういうことがよくある。
去年読んで一番面白かった本なんだろうなと考えていたんだが、「水たまりで息をする」か「テスカトリポカ」かなと思った。今年も面白い本たくさん読みたい。
プログラミングは、ある目的を達成するように動作する機械語を得ることが目的だ。機械語を得られればその手段は何でも良いのだが、ほとんどの人間は機械語の読み書きができないから、仕方なく頭の中のアイディアと機械語の間に位置する中間表現としてプログラミング言語を作っただけだ。
なので、AIに高級言語のプログラムを出力させ、そのプログラムを人間が機械語に変換するのは結構やってることが謎な感じがある。プロンプトから機械語を直接作ればいいだけなんだけど、何故か今は高級言語のプログラムを出力させて、わざわざエラーメッセージからそれを修正させたりしている。これだとAIはいつまで経っても人間の作業の自動化しかできない。
じゃあ何故今そうなっているのか?それは、多くの人はOpenAIが作ったモデルを使わせていただくことしかできないからだ。やはり、誰もが頭の良いモデルを自分で学習させることができるようにしないといけないと思う。
いったん葬儀関係が一段落したので飛行機で帰宅。ものすごく疲れた。 「幸せな家族 そしてその頃はやった唄」を読んだ。ちょっと思ったよりは微妙だったなあ。謎解きが全く大した事ない感じだったが、あくまでジュブナイルであり、これはそういう本ではないのだろう。結構昔の本だしまあこんなもんかなと思った。最近の本はむしろ、読者の期待を大きく裏切らないといけないから大変だよなあ。
明日の葬儀の準備。 谷川俊太郎の詞選集2を読んだ。なぜか1が売ってなかった。いくつかいいなと思うのがあったけど、私は詞の読み方をまだ知らないようだ。今年は今まで読んでなかったジャンルの本をたくさん読もう。
今日も葬儀関係で飛行機で移動。移動中に本を読む。
小山田浩子「工場」を読んだ。ちょっと想定と違う話だったなあ。ゴリゴリの純文学だとは思わなかった。帯に「工場での不可解な仕事、この仕事はなんのためにあるのか?」とかなんとか書いてあったので、その謎解きを期待して読むと面食らうのではないかと思う。
わけのわからない工場で働く三人が、それぞれ意義が不明な仕事をしており、彼らがそれぞれの視点から語っている。彼らが働く工場には灰色ヌートリア、洗濯機トカゲ、謎の鳥が生息している。たぶんこの3人とそれぞれの動物を重ね合わせている話なんだと思う。最後に主人公が鳥になる描写があったことはヒントなのだろう。工場の末端で意義の不明な仕事をすることと、超巨大な工場の中で気ままに生きる動物がなんとなく似ているというかそこをメタファーとしているような印象を覚えたが、ちょっとまだあまりわかってない。
「いこぼれのむし」はすごく面白かった。こちらは割と大衆文学的な要素が強くなっている。カテゴリとしてはそれでも純文学だとは思うが。出てくる人みんながうっすら嫌なやつというか、他人を見下しているところがあり、でも現実の人間関係もそんなもんかもしれない。 これは社内のひとつのフロアでの日々を複数の人間の視点から描いており、そこにはただ複数の視点と、複数の考えや思いがあるだけである、というような話だ。そこに善も悪も、正しいも間違っているもなく、ただ複数の人がいて、生態系のように人間関係を作り上げている。ただしそこに象徴のように登場するのは虫である。ここでの虫は主人公の奈良さん自身であるような印象を受けた。
猫の世話をしないとなので一旦自宅に帰る。明日またすぐ出なければいけない。 なんかすごく疲れた。
葬儀屋など。葬式ってやるのが無駄で要らないとまでは言わないけど、100万とかかかるのはちょっと異常だと思う。ゆるやかに終わっていく業界なのだろう。
急な身内の不幸。ものすごく忙しい。日記を書いてる暇はなかった。タイトルも特にないので、食べたものにしておく。
銭湯に行ったりしてた。明日から忙しくなる。
今日はなんか美味しいものを色々食べた。
このラーメンが、めちゃくちゃ美味しかった、、塩ラーメンと書いてあるが、普通に醤油だと思う。北海道の湧別市で5年だけやってたラーメン屋のラーメンを再現したものらしい。 あっさりしてるんだけど脂の旨味が出てる。また麺が揚げてない乾燥麺というやつなようで、麺がすごい美味かった。また買う。
昼にはま寿司に行ったのだが、「豚塩カルビ柚子おろし盛り」を何気なく頼んでみたところ美味しかった。柚子皮が上に乗ってるだけかと思ったら、大根おろしがしっかり柚子の味がして、肉の脂をさっぱりさせており良かった。 ちなみにはま寿司がけっこうしっかり値上げしており気絶するところだった。
https://www.chateraise.co.jp/ec/g/g187382/
あとこの、シャトレーゼのラムレーズンアイスバーもめちゃくちゃ美味かった。シャトレーゼレベル高くてすごい。 私はラムレーズンが好きで、仕事中にレーズンをおやつでかじってるほどなんだけど、このアイスは特に美味しかった。甘さ自体は控えめだけどラムの香りのレーズンの甘味のバランスがとても良い。
今日は食レポ日記になった。
U-NEXTで「飯沼一家に謝罪します」見た。めちゃくちゃおもしろい!そしてかなり怖かった。 フェイクドキュメンタリーQっぽくてかなり好みだった。
私の考えたストーリーを書き残しておこう。
まず、飯沼家には引きこもりで荒れた息子の明正がいる。彼に両親も妹も悩まされていた。そのせいもあってか、父の経営する会社はうまくいっておらず、資金繰りのためにテレビ番組の賞金にもすがるほどだった。 この番組に家族で出演するにあたり、明正を出演させることはできないため、父の会社の社員の親戚の子を替え玉として出すことにした。その際、八代氏に依頼して運気を向上させる儀式を実行した (ここには明正は入っておらず、替え玉の良樹が参加) 。
しかしこの儀式は一時的に大きな幸運を呼び寄せるものの、その後大きな不幸をもたらすものだった。またこの儀式では、悪いものを鏡に閉じ込めるという行為が行われるが、その際良樹以外の三人は「悪いもの」のイメージとして明正の名前を紙に書いてしまった。
儀式後、一時的にもたらされる大きな幸運のお陰で100万円とハワイ旅行を無事獲得。しかしその代償として、儀式に参加した4人は、この世とあの世どちらでもない世界に行ったようなじょうたいになってしまい、その様子があの謎の映像。
そして、徳島に帰った良樹と、明正以外の家族3人は、あの世へ行くためにあの謎の輪っかを作った。明正は家族のイカれた様子に耐えられず自宅に火を付けて3人は死亡。ここはラストシーンで暖炉がクローズアップされたことからおそらくそうかなと思う。
また、良樹の母は八代への報復として四十九日の裁きを自宅で実行させた。2階の良樹の部屋には、わかりにくいがおそらく2体の人間の体が置いてある。なぜ重なるように置いているのかはよくわからないが、こういうことかなと思った。四十九日とは、仏教において人が死んでからこの世とあの世の間を彷徨う期間であり、その後閻魔大王の裁きを経てその後の行き先が、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道のどこになるか決まる。 四十九日の裁きとは、この閻魔様の裁きのことで、要するに死ぬことなのだが、良樹は部屋の心電図計のようなものを見た感じ生きていて、つまり八代も良樹と同じようにこの世とあの世の間の、どちらでもない世界にいさせようとしたのではないか。このへんは正直よくわからない。
残る謎は、りんごを毎年送っている目的はなにかと、この番組の目的はなにかだ。後者については、良樹の母が「絶対放送してくださいね」と言ってたのが妙に引っかかるんだよなあ。そもそも良樹の母は、八代へ報復したいだけなら謝罪番組 (四十九日の裁きをした、劇中劇の方) を作らせる必要性は全くないわけである。そのことはこの「飯沼一家に謝罪します」にも同じことが言えるのだが。
りんごについてもよくわからない。おそらくなんらかの悪意があるのだと思うし、ラストシーンもそういう雰囲気だったが、、
まあとにかく、めちゃくちゃ面白かったのでおすすめ。
YouTubeで私が見てるチャンネルがあって、久しぶりにそのチャンネルの動画が更新された。見たところ、今回は内容がそんなに面白くなかった。
このことをきっかけに思ったんだけど、動画メディアにはYouTubeやニコニコ動画みたいに「何回再生されたか」を表示してるものと、アマゾンプライムビデオとかNetflixみたいに「視聴後に投稿されたレビュー」を表示してるものがある。後者は映画などの割としっかりした映像作品でないとおそらく成立しないのだろう。インスタントな動画に星を付けるのは面倒だろうから。
前者のシステムだと、「見たけどつまらなかった」と「見て面白かった」が同じ1再生として扱われる。なので必然的に、とにかく再生させることが重要になるから、タイトルで目を引くことを書いたり、サムネイルを派手にしたりする方向に努力が向くようになる。
広告で収益を上げているとこういうシステムを作ることになるんだろうな。逆に言うと、システムの構造は収益モデルに依存することになるのかもしれない。コンウェイの法則では「システムの構造は組織の構造と一致する」と言ったけど、これは本当は「収益の構造」なんじゃないか?
引き続き北海道にいる。明日帰る。
箱根駅伝って、努力のアウトソーシングができて気持ちいい。自分は温かい家の中でみかんとか食べながら、一番しんどい思いをして走っている選手の、頑張っている部分だけをかすめ取るような感覚。野球部と関係ないのに自分の高校が高校野球で負けて泣いてるやつと同じ。スポーツは自分でやるのが一番だ。
自分の人生に関係のあることをするのが大事だなと最近思っている。 昨日久しぶりに電車に乗って、あまりにも自分に関係ない広告が多すぎて辟易した。
去年はゴルフを始めたけど、スポーツの良いところは、どこまでいっても自分のものでしかないところだ。他人がナイスショットしても、いいスコアを出しても、自分には関係ない。他人の打ち方が自分にとっても良いかはやってみないとわからない。なので体験としての純度が高いようなそんなイメージが有る。
本や映画は、体験が他人と混ざりやすい。他人の感想を耳に入れてしまうと、自分の感想と混ざり合ってしまう。そのうち自分がどう思ったかなんてわからなくなって、どう思うのが正解なのかを探すようになってしまう気がする。
自分の人生と関係が深いことをやること、そうでないことをなるべく捨てることを気をつけたい。
「一寸先の闇 澤村伊智怪談掌編集」読んだ。「君島くん」「無題」「空白」「さきのばし」「保護者各位」などが特に面白かった。民俗学っぽいのからフェイクドキュメンタリーっぽいものまで、澤村伊智はホラーの引き出しが多くてすごい。
「君島くん」「保護者各位」は最近のホラーで多いフォーマットだろう。ホラーって全部そうかもしれないけど、普通の日常生活を送っている世界と、得体のしれない怖い世界があり、これらが接続する構造になっていて、そしてその接続の仕方自体がそのホラー作品の最も重要な特徴の一つになる。 そして、これまでのホラーはいかにも怖いことが起きそうな前フリがあって、そこからじわじわと怖い方の世界と繋がっていた。
これが、突然でかつ日常となるべく近くで接続させてしまうのが今のホラーのトレンドだ。「近畿地方のある場所について」とかはこれの代表みたいなもので、やはり発明といえると思う。
来年はこれまで読んでこなかったジャンルの本をたくさん読みたい。最近、「自分はこういうのは好きじゃないな」と思ってたものは、「単に自分がそれを面白がれるだけの感性とか経験をまだ持ってないだけなんじゃないか?」と思うようになってきた。
ゴルフクラブの掃除などした。 私の56度はノーメッキで錆びちゃってたのだが、あまり削り落としたくなかったのでクエン酸水につけてみたところ完全に錆がとれた。嬉しすぎる。 この56度を買ったのはゴルフ始めて2週間くらいのときで、正直よくわからず雰囲気で買ってた。ノーメッキとかいう概念も知らなかったので、錆びたときは相当ビビった (ノーメッキのウェッジが錆びるのは普通らしい)。
最近はAIエージェントについて考えている。現状のリソースで、AIエージェント的なことがしたくなる気持ちはけっこうわかる。 AIエージェントを作ること自体は簡単で、無限ループを書き、その中にLLMを入れてやればよいだけだ。ここで問題になるのはやはりエンドツーエンド性というか、結局はこのエージェントを人間が実装しているようでは、結局は人間でもできるようなことを自動化するだけに過ぎないということになるだろう。ただし、現状の世界にあるリソースで取れる選択肢としては、こういうのを作るしかないというのはよくわかる。
思うのは、昨年突如発表されたChatGPTがシステムとして優れすぎていて、あのインタフェースに思考が固まってしまうのではないだろうか。技術はもっと少しずつ発展して、その過程で色々枝分かれして発展したり淘汰されたりすると思うんだが、今はとにかくOpenAIのAPIをどう使うかをみんな考えてしまっている気がする。これはOpenAIの狙いでもあると思うが、、
やはり重要なのは、そのへんのエンジニアが安く速く自分たちのモデルを作れるようにすることだよなと思う。
明日のおおみそかから北海道に行く予定だったのだが、飛行機が欠航になってしまった。しかたなく1日後ろ倒しにした。
ノーザンカントリークラブ錦ヶ原ゴルフ場でラウンド。スコアは46、52の98。100切りをついに達成した!ゴルフ始めて3ヶ月と26日。良いゴルフ納めとなった。
今日もドライバーとアイアンは割と調子が良く、アプローチがダメだった。パターも3パットがちょこちょこ出る。アプローチについては完全にゼロから鍛え直したい。2時間打ち放題でアプローチだけやるような、気合の入った練習が必要。
来年も仕事とゴルフの両立をしていきたい。今のクラブセットはパターも入れて8本しかないけど、これでも80切れると思ってる。コストパースコアを最小化したい。
「ヒメアノ~ル」を見た。古谷実。ヒメアノ~ルは面白い。 私は日常生活と地続きになった恐怖を描いた作品が好きだなと思った。今連載している漫画で「住みにごり」というのがあってこれも好きなんだけど、ヒメアノ~ルと似ている。日常生活をコミカルに描きながら、そのすぐそばの、手を伸ばせば届く範囲に恐怖が潜んでいる、という感じの話。
何ヶ月か前の話なんだが、妻の友人 (前田さん) が札幌から遊びに来て、そのままうちに泊まるというイベントがあった。
泊まった翌朝、私がトイレでうんこをしていると、前田さんが気付かずにトイレのドアを開けてしまい、私と鉢合わせしたことがある。その時前田さんは悲鳴を上げ、慌ててドアを閉めそのまま逃げていった。
トイレから出た私は、このことを妻に報告しようと思い「前田さんがトイレを覗いた」と言った。
この話を今日ふと思い出したのだが、こういうときって「前田さんにトイレを覗かれた」ということが多いのではないか。なぜ私は「前田さんがトイレを覗いた」という言い方をしたのだろうか?
これは、「覗いた」という言い方は覗いた者、つまり前田さんが主語であり、前田さんがそのような行為をしたんだよ、ということにフォーカスした言い方である。
一方、「覗かれた」という言い方は覗かれた者、つまり私が主語であり、覗かれた自分に着目している。
さらに言えば、「覗いた」という言い方は、覗くという行為をした相手を非難したり、責めたり、あるいはからかったりなどするニュアンスになるが、「覗かれた」という表現では覗かれた自分の可哀想さや、被害者性への歩み寄り・共感などを求めたニュアンスになる。
例えば、「この人が痴漢をした」という言い方は、痴漢を非難したり逮捕を迫ったりするニュアンスになるが、「この人に痴漢をされた」というのは痴漢された自分へのケアを求めたりするように言い方に聞こえる。
私はこの時、前田さんがトイレを覗いたという事象の面白さ自体を伝えるために発言したので、主語が前田さんになったのだなとふと今日思った。
ゴルフ場の練習場に行って練習してきた。アプローチを主に練習したんだが、転がすアプローチがだいぶうまくなった。 56度で転がそうとするとトップしたり、玉が浮いてしまってショートしたりが多いのだが、フェースを閉じて構えてそのまま閉じて打つとほぼそのミスがなくなった。その分左にスピンするのだが、そこは打ち出しの方向で調整できる。家に帰って調べたら割とあるやり方なようだった。
昨日のバスクチーズケーキと同じ店で買ってきたティラミス食べた。これもめちゃくちゃうめー。
クリスマスなのでバスクチーズケーキ買ってきて食べた!家の近くにあるめちゃくちゃうまい店。外側の香ばしい層と中のクリーミーな層のギャップがうまい。甘さは控えめ。グルテンフリーらしい。
クリスマスプレゼントを奥さんにあげた。
奥さんからは「スーパーマリオワンダー」をもらったのだが、めっちゃ面白い。ステージにもよるが難易度がわりと高めだなと感じた。あとマルチプレイが面白くて、単に協力すると言うよりも、単に同時に同じステージを各自がプレイしていて、そこでちょっとした交流や協力ができるようになっており、ダークソウルのマルチプレイのような感じがした。
人間の脳はなにかおかしいことを言われたときに、「おかしい」ということだけパッとわかるようになっているんだと思う。脳の中では、論理的思考しておかしさを導いてから、「おかしい」という結論を出すのではなく、まず「おかしい」ということを脳が判断して、その後に後付けで「なにがおかしいのか?」を導いている。 これは、論理的思考は結局のところレイテンシがかかりすぎて緊急時では役に立たないためだろう。敵に襲われたときとか、論理的思考してる場合じゃないことはよくある。
なので、人間は論理的思考をせずとも何かを思考できるし、論理的思考や言語化は、あくまで感覚的な思考の後に、あえて論理的思考用の仮想機械みたいなものによって実行されているのだと思う。
感覚的な思考の弱点は、これまで脳が学習したことからしか思考できないことだろう。全く未知のことについては思考できない。論理的思考は、未知のことについて、適当に仮定を置くことで思考できる。フェルミ推定とかはそのいい例だろう。
この特性を踏まえて、人はなぜ論理的思考をしたり言語化したりするのか、その目的は何かというと、自分の頭の中にあることを他人に伝える必要性がなにかあって、それを他人に伝えるためだ。他人にとっては未知なことを既知なことにするためには、未知を既知にするための論理的思考プロセスを実行する必要がある。これを他人の脳ではなく自分の脳で代わりに実行してあげることによって、なにかを人に伝えることができ、思考の共有ができるようになる。
整理すると、知識には以下の3つがあり、
論理的思考や言語化は、①や②を、③に変換できる。
話は変わってプログラミングについて。プログラミングは最終的にはひとりでやることなので、基本的に人に何かを伝えたり、思考を共有したりしなくてもプログラム自体は完成させることができる。なので、論理的思考をしなくてもプログラムは書ける。
一方、論理的思考しなければいけない場面は①全く未知なものをプログラミングしなければいけない時、②既知なんだが、アイディアを人に伝えなければいけない時、の2つがある。
①について、例えば「行列積をプログラミングせよ」と言われたら、大抵の人はまず行列積ってどんな計算だったかを整理して考え、それをプログラムにおこす、という風にするのではないか (別に行列積でなくてもよいが、行列積はややこしいので) 。こういうケースは感覚に頼りにくい。
②は、チームでソフトウェアを開発してるときにはどうしても必要なプロセスになる。人と協働するということは問題を分割して分担することであり、分担することによって認知の境界が生まれると以前どこかに書いたが、互いの認知してる境界線を飛び越えないといけない場面がたまにあり、その時にある人にとっての既知を別の人にも共有する必要性が生まれる。
ダラダラ書いたけど、結局言いたいのは「論理的思考や言語化は手段に過ぎないので、使い方には気をつけたほうがいい」ということと、「プログラムを速く書くためにはなるべく論理的思考しない方が良い」ということかな。プログラムで大事なのは速く書くことで、速く書くための積極的努力をしていこう。
「三重県津市西区平山町3-15-7」という小説 (連載中) を知ったので読んでみた。
https://kakuyomu.jp/works/16818093089667165132
「近畿地方のある場所について」の正統派なフォロワーというか、テイストがかなり似ているのだが、もう少しわかりやすいホラーという感じだ。けっこう面白い。
というか、カクヨムってなんでもいいから小説が読みたいときにけっこう良いツールだなと思った。面白い小説は多少読むのに気合がいる (私の好きなホラーやミステリーは特に) のだが、カクヨムは適当に読める感じがある。
カクヨムには「関連小説」という機能があって、似たような作品をディグれるのだけど、「近畿地方の〜」と似たような作品がたくさんあることも今日知った。あのフォーマットはやっぱり画期的なんだな。モキュメンタリーを活字でやるための発明と言えよう。
白井智之の「ミステリー・オーバードーズ」も読んだけど、こちらはめちゃくちゃ気合が必要なやつだった。面白いんだけど。
ゴルフがしたくて家の近くのショートコースに行ってみた。行ってわかったのは、私はアプローチが下手だということと、パターで肩から動かすのを意識しすぎると全然入らないことだ。 アプローチに関しては難しすぎて打ち方が全然わからないのでひたすら練習しようと思う。
あとやってみて思ったのは、ショートコースの練習は打ちっぱなしよりもゴルフが上達する感じがある。やっぱりちゃんとここを狙ってこういう球を打つと考え、そのとおり打てたかのフィードバックを得る、というのが大事だ。これはどんなスポーツでも同じだと思う。
家に帰って「イニシエーション・ラブ」の映画を久しぶりに見た。なんか頭使わずに見られる映画を見たかった。イニシエーション・ラブはやっぱ面白い。
オーバーエンジニアリングが悪だというのはある程度共有されている気がするけど、大事なのはオーバーエンジニアリングとは何か、どこからがそれにあたるのかという議論であろう。システムメトリクスとかは定量化が可能だが、多くの品質は定量化できないのでオーバーかどうかはそもそも議論できない。また、システムの要件は変わっていくので、なにがオーバーかどうかも変わっていく。自分たちのシステムが今どんなふうに作られているべきかということについて議論し、改善を繰り返し続けるのが大事だけどなかなかできないことも多いと思う。
心霊マスターテープ2を見た。1の方が面白かったかなあ。題材がフェイクドキュメンタリーとして扱うのが難しいんじゃないかなと思った。 出てる人とか進行の仕方は完全にフェイクドキュメンタリーなんだけど、ヨネさんの件とかなんか浮いてた印象だった。
なんか体調の優れない一日だった。睡眠不足かもしれない。
白井智之の「げろがげり、げりがげろ」を読んで、マジで天才だなと思った。短編での多重解決は長編よりも洗練されているというか、無駄の要素を削ぎ落とさないと短編で収まらないからスッキリしてていいなと思った。 この話は、口と肛門が入れ替わった並行世界があって、その世界では肛門から食事をし、口から排泄するということになっている。そして、タイミングよく脳震盪を起こすことで双方の世界を行き来できる。これ以外にも、わけのわからない設定がどんどん足されていくんだけど、そこに無駄なものが一つもなく最後にはすべてが繋がって解決されるのが気持ちいい。記憶を消してまた読みたい。
何年か前に「Googleではソフトウェアを作る前にDesign Docというものを作るらしい」ということが広まったタイミングがあって、それ以来今のソフトウェアエンジニアリング界は空前のドキュメントブームと言えよう。私はこれはやりすぎてるというか、ドキュメントというものの重要性は過大評価されている印象を持っている。 シニアエンジニアやスタッフエンジニアはドキュメンテーションを書くのがむしろ重要な仕事である、みたいな風潮すらあると思うが普通に考えてそんなことはなく、やはり大事なのは、高速で、安全で、堅牢かつ、誰もが読みやすく変更しやすいプログラムを素早く書くことに尽きると思う。これを本当にちゃんとできるのであればドキュメントの必要性はかなり少なくできる。コードの抽象化はコードの動作を驚くほどよく説明することができるし、テストコードは実行できるドキュメントである。 あるソフトウェアについて、「この部分ってどうなってたっけ?」というのを知りたいときに、その部分が明確に抽象化・構造化されていることを知っていれば、プログラマはコードをまず読みに行くだろう。ドキュメントを探しに行くのは、プログラムのどこでどうその処理がなされているかが複雑でよくわからないときであり、私はそういうのはより良く修正することができると考えている。ドキュメントは大事といえば大事だが、本当に自然言語でのドキュメントが必要な場面はかなり少ない。
また、経験上ドキュメントを書く能力はかなり特殊能力で、できない人はできるようにはならない。できるやつは最初からできる。なのでマネジメントの観点では、ドキュメントを書かなくてもなんとかなる方向に持っていくほうが正しい。
ドキュメントとは、コードがどう動くかを他人に伝えるための手段だ。なので、コードが読める者同士では直接コードでコミュニケーションすればよい。コードでコミュニケーションができないときそれはコードの状態が悪いことや、コードレビューが機能してないことを意味するだろう。
アイアンの練習をちゃんとやると、自分のアイアンの下手さにビビる。主に問題として「ダフリ」「引っ掛け」のふたつがあり、これらは複合して起こることもある。集中して練習しないとマズい、、
朝からゴルフ行った。東我孫子カントリークラブ。スコアは103で、一応自己べだが、100を切るのが目標だったのであまり満足はしてない。
今回はドライバーはかなりよく打てたんだけど、アイアン以降のミスショットが目立った。終わったあとそのまま打ちっぱなしに行ったけど、自分のアイアンの下手さに絶望した。ダフリもトップも出ていて、原因もよくわからない。つらい。
伊勢旅行から帰ってきた日。最後にまた伊勢うどんとか手こね寿司とか食べて帰った。
伊勢って良さそうな割にあまり観光地として大人気ではないと思うんだけど、何故かわかったような気がした。最初はアクセスが悪いからかなと思っていたんだけど、そうではなさそう。伊勢に足りないのは安く楽しめるアクティビティなんじゃないかと思う。 例えば食べ物を取ってみると、伊勢で食べられる美味いもので有名なのは松坂牛、伊勢海老、牡蠣といった感じで高級なものが多い。伊勢うどんは私は好きだけどあまり人気がない。 どういう物があればいいかというと、例えばご当地のラーメンとかそういう系。ラーメンとかお好み焼きとかカレーとか、そこでしか食べられないけど安くて美味いものというのがあまりない。 あとは有名なお土産が赤福しかないのも痛い。洋菓子が好きな人は多いし、赤福は日持ちがしなさすぎて買いにくい。実際色々見たけど、赤福以外も餅とかおかきばかりなのであまりテンションは上がらない。 後は温泉がないのが痛いだろう。一応新美里温泉と呼ばれるものがあるんだが、これは近くからお湯を持ってきている感じらしくて、日本人はそういうのを割と好かない気がする。
なんというか総じて、お金をあまり使わないで手軽に楽しめるものや、ここでしか体験できないものというのがが少ないんじゃないかと思った。でも実際行ったらすごくいいところだと感じたし、また行きたいなとも思った。伊勢おすすめ。
伊勢旅行の2日目。志摩スペイン村という地方都市っぽい遊園地に来た。アトラクションがけっこう怖い。
志摩スペイン村は遊園地というよりテーマパークで、要するにディズニー的な感じだ。キャラクターグリーティングとかがあるし、世界観が表現されている。
スペイン村のキャラクターは400年前のスペインで暮らしていたが、亜空間の繋ぎ目を通ったらちょうどこのスペイン村に通じていたというストーリーがあるらしい。
アトラクションがめっちゃ楽しくて、並ぶ時間も長くて15分とか。食事も安くて美味いし、すごく良かった。ディズニーランドとかと比べるともちろんクオリティは低いんだけど、総合的な満足度でいうと大して変わらないんじゃないか?と感じた。人が少ないことはそれだけで価値がある。
泊まったのはアマネムというアマンリゾート。すごく良かった。ご飯がめちゃくちゃ美味い。ネタバレしたくないので写真も載せないでおく。おすすめ。
伊勢に旅行に来た!赤福。餅があまり好きじゃないけどこれは美味かった。あんこがうまい。
おかげ横丁のあたりで食べた厚焼きたまごサンド。うまい。
伊勢海老。
前から思っていたけど、海老ってほぼ虫だと思う。美味い虫。というか我々が普段食べない虫も、食べたらうまいことがあるのだろう。
伊勢は伊勢神宮があるからか、街が落ち着いてるというか、観光地らしくはしゃいでない印象を受けた。そこが気に入っている。観光地が実はかなり多いし、伊勢のポテンシャルすごい。アクセスがもう少しよければえらいことになっていたのだろう。
最近ゴルフの調子が良くて嬉しい。 ドライバーの安定感が増してきた。変えたのはアドレスの姿勢だけなんだが。後はちゃんと連続素振りの練習をやってるのが偉い。
アイアンはダフることがあるのと、引掛けが出てきている。おそらく腕の振りが足りないというか、頭や体が先に回ってしまっているのが原因なのではないかと思う。
前から思っていたが、ゴルフで求められる体の動かし方は、人間が自分で意識して制御可能な動きの複雑さの限界を超えていると思う。そこそこ重い棒を、なるべく速くかつボールにまっすぐに当てなければいけないくて、この両取りが難しい。あとボールが小さすぎる。厳しいスポーツ。
明日からは旅行に行く。写真などいっぱい載せたい。
U-NEXTで、実は見たことがなかった「心霊マスターテープ」を見たんだけど、これめちゃくちゃおもしろい!ホラードキュメンタリー好きからすると、かなり豪華な出演陣だった。
こういうのはよくわからないまま終わることも多いが、無駄な伏線がなく最後に全部回収されるのが気持ちよかった。梅沢さんと茨木さんの家に入って話してるあたりは緊張感すごいし、しっかり怖くてよかった。最後にゾゾゾか入ってくるのも良かった。 2も見ようと思う。
妻の誕生日が目前に迫っているのだが、ネットで注文したプレゼントがなかなか届かなくて困っている。
注文の翌営業日に発送、ただし日曜は営業日ではないとのことで、注文は土曜にしたので、今日月曜に発送されるはずだったんだけど、なかなか発送連絡が来ない。これはマズい、、と思ってたら夜に発送メール来たし、ヤマトの番号で追跡したら明日着くとのこと。送ってもすぐにはメール送らないパターンだったようだ。
ちなみに今回、ギフトラッピングにチェックするのを忘れたので、明日ダイソーでラッピングを買って自分で包むということをしなければいけない。これも大事な仕事の一つである。
中田育男「コンパイラの構成と最適化」を読んでる。コンパイラおもしれーとなってる。コンパイラのフロントエンドにはそんなに興味はないんだけど、ミドルエンド、バックエンドはやはり面白い。
「告白」という映画を見たけど面白かった。湊かなえのやつ。 結局何が正しいとかはなくて、誰かにとって正しいものが、別の誰かにとっては間違ってて、それで別にいいというか、世の中ってただそういうものだよね、という話なのかなと思う。後味の悪さが言及されることが多いようだけど、そもそも小説や映画ってスッキリ終わると決まってないし、理不尽なこともあるし、全部自分で選んだことだし、、みたいなことをあえて強調してるのかなと思った。
あと、松たか子は当然としても、出てくる全員中学生とかも含め演技力が高すぎてヤバいなという印象を持った。少年Bの発狂する演技とかリアリティすごかった。少年Aと少年Bがそれぞれ対照的に描かれてるのがすごく面白い。
ちなみにU-NEXTで見たんだが、自分の中でU-NEXTの評価がけっこう上がってる。AmazonプライムビデオとかNetflixって、なんとなく似たようなのがあるイメージなんだけど、U-NEXTはすごく個性的で、ここでしか見られないものが多い印象。Amazonプライムビデオは、無料で見られるものと追加課金が必要なものが同じ画面で混在して表示されることが嫌いすぎて最近見てない。あれはユーザをなめてるので解約するか悩んでる。
「きつねさんでもわかるLLVM」とかいう謎のタイトルの本を読んでるんだけど、LLVMの入門書としてかなりクオリティが高い。レジスタマシンについて詳しくなってきてる。
ちょっと書き忘れてたので8日に書いてる。こういう日もある。LLVM IRの勉強をした。
髪を切りに行ったんだけど、マイクロファインバブルが導入されたというのでせっかくなのでやってもらった。マッサージとして気持ちいいし、よくわからんけど汚れもめっちゃ取れたらしい。本当にそれが除去すべき汚れなのかはよくわからない。
コンピュータというのは結局何が目的かというと、メモリ上のデータを、レジスタやGPUデバイスメモリに移動し、演算し、そしてまたメモリに戻すってことだ。これについてはもうずっとブレイクスルーは起きていない。ただこれだけのことに、レガシーとかモダンとかは存在しない。なのでパブリッククラウドのポジショントークに乗ってはいけない。
レジスタマシンにおける、ASTからIRシーケンスへの変換方法がわかってきた。スタックマシンとはぜんぜん違うんだな、、でもこちらのほうが明らかにパフォーマンスは良いだろう。
DNNコンパイラは、最終的にCUDAやCを吐ければいいので、レジスタ割り付けの問題を解かなくていいのは楽だ。
Advent of codeが始まってたのに気づいたので今日の分まで解いた。一応何も見ず解けた。 毎年一応やるんだけど、だんだん難しくなって飽きてやめてる。
今日の分まで解き終わったあとRedditを眺めてたら、「Goプログラマの自分が、同じ問題をPythonで10行で解けるのを目にしたときの顔」みたいなのがあって良かった。その気持わかる。もうPythonしか書きたくないよ。
米津玄師の新しい歌がめっちゃ良い。
歌詞のテンポがいいなと思った。
ポケポケというスマートフォンのゲームを少しやった。ポケモンカードを集めるゲーム。本物のカード欲しくなったので、術中にはまってるなと思った。62枚くらい集めたところで飽きてアンインストールした。
カモネギのカードゲットできて嬉しかった。ポケモンなにか一匹飼って一緒に暮らせるとしたらカモネギにすると思う。
最近LLVMについて勉強しているんだけど、「支配辺境」という言葉かっこよすぎる。 マルチパスコンパイラについて雑にしか勉強してこなかったのでちゃんとやるぞ。
餃子の王将。 餃子の王将が好きで、2週に1回くらい行ってる。餃子の王将はご飯となんかのおかずで800円くらいなのに味がうまい。駅近とかのいい感じの場所にあまりないせいで地味だがかなりの実力者だろう。
特に写真にもある「ホルモンの味噌炒め」が一番好きで、ほぼこればかり食べてる。これは王将のポスターとかにもなぜか乗ってない(唐揚げとか麻婆豆腐が乗ってる)のだが、過小評価されてると思う。マジでうまいから。
あと王将を食べるとアイス食べたくなるよね。
来月妻の誕生日なのだが準備が全然できておらず焦っている。毎年妻の誕生日は良い目の旅行に行っていて、今年は伊勢志摩に行こうと思ってる。
伊勢の行き方について調べていたら、イメージよりアクセスが悪くて驚いた。名古屋まで新幹線で行ったあと、電車に乗り換えて1時間以上かかる。空港もない。割と陸の孤島っぽさがある。でも楽しみだ。
外部からの情報をインプットすると、いろんなことが無難化していくのではないか。
人生は結局のところ、自分が何を考え、自分がどう行動し、自分がその結果どう思ったかが全てだ。
外部からの情報を取り入れることは、他人が何を考え、他人がどう行動し、他人がどう思ったかを、自分の判断や行動の軸の要素に取り入れることと等しい。
この結果、自分で考えて自分で行動する機会が相対的に失われることになる。その結果、「自分で何かを発見する機会や喜び」が失われる。
その結果、自分で何かを発見しようという気持ちが失われて、ますます情報に依存することになる。前情報がないと行動できないような感じ。
人間は好みとか体質とか育ってきた環境とか、そういう個人差のパラメータが大きいので、基本的に自分でやって自分がどう思うかは、他人とは独立しているはずだ。でも同時に、人間は他人の感想と自分の感想をかなり混同しやすいので、自分がどう思ったかなんてどんどんわからなくなる。
「価値観のアップデート」とかいうかなり意味不明な概念があるが、その正体はこれだろう。誰かすごい人が考えた『正しい価値観』がひとつ存在していて、それを自分の価値観として装着するような。これは価値観でもなんでもないというか、価値観という言葉の意味と明らかに矛盾する概念なのに、何故か正しいことのような顔で突然生まれた概念だ。インターネットやSNSの発展と無関係ではないだろう。
では情報の価値はどこにあるかというと、最悪を避けられることなんじゃないか。明らかに価値のないものとか、つまらないものとか、罠みたいなものを避けることに使うのが良いのではないか。
つまり情報を取り入れることは、アップサイドのメリットを捨て、ダウンサイドリスクを排除することと言える。この結果人生が無難化していく。グラフの真ん中に寄ってくる。みんな同じことをして、同じ場所に行って、同じものを食べ、同じ感想を言う社会。
これを避けるには、取り入れる情報の品質を研ぎ澄ますのがいいのではないか。無料の、広告収入のための情報を捨てること。本の価値はこういうところにあるとは思うけど、それが全てでもない気がする。
ちなみに、この現象はSNSとの相性が非常に良い。人間は他人の具体的なエピソードを凄く信用してしまう(行動経済学のやつ)ことと、とにかく注目されるためにアウトプットしたがる人がいて、それらの相性が良い。 ただし、SNS上の情報は注目されるために誇張されたり脚色されたりわざとツッコミどころを作っていたりと、基本的に品質が低いので、結果的に価値のない情報に依存してしまうことになる。無難な結果すら得られなくなっていく。
「開発イテレーション偏重」というすごく好きなブログが有る。
https://shinh.hatenablog.com/entry/2019/09/12/201335
開発イテレーションは単なるプログラミングの速さではない。プログラミングして、ビルドして、テストして、実行して、またプログラミングする、という一連のサイクルのことだ。
この、サイクルを速く回すための設計とか工夫ってあまり言語化されてないというか、なんならわりと過小評価されてる印象がある。
例えばプログラミングするときに、なんとか原則とかモジュールがどうこうとかはもちろん大事だし、そこは勝手に議論が始まるくらいの感じだと思う。でも、「どんなコードを書けばイテレーションが速くなるか」、逆に言うと「この書き方だとイテレーション速度が下がっちゃうから辞めよう」みたいな議論はあまりされてない気がする。されてないけどいちばん大事なのはここだよね、とけっこう本気で思っている。
よくあるのはコード書いたらリモートにプッシュして、CICDが終わるまで実行できないとか、実行結果がわかりません、みたいなやつ。これってすごく無駄で、生産性に大ダメージを与える。こういうのを積極的に避けるような設計とかはすごく大事だと思う。
プログラマはシステムの正しさについて考えるのが得意なことが多いが、正しさよりも大事なことはけっこうあると思われる。
何日か前に見たくない情報を見なくていいのかについて書いたんだけど、あれについて少し考えた。
自分が見たくないと思い込んでいても、見たことによってなにか自分に変化が起こるかもしれないので、見たくないと思っていても見たほうがいいかなとは思う。
「見たくなさ」は何に起因しているかというと、その情報の提供者かもしれない。 例えば暗いニュースを見たくないとして、その暗いニュースを私に伝えようとしている、その意図について考えてしまう。 メディアとかマスコミとかジャーナリストとかテレビ局は、大衆にあくまでビジネスとして、企業の経済活動の一環として情報を提供しているわけで、その彼らがこの暗くて陰鬱なニュースを私になぜ見せたいのか?ということを考えると、彼らの目と口を通してこの情報に触れたくない、という気持ちが出てくる。
一方、一次情報にだけ触れ続けるのは普通に考えて無理なわけだし、ジャーナリズムにも意義はあると思うんだが、ここは好みというか嗜好の話だろう。
ちなみに面白いのは、「こいつの思考を通して情報を得たくない」は逆パターンもある。「この人がこの話にどうコメントするのか知りたい」という思考で、これはSNSで誰かをフォローしたりYouTubeチャンネルに登録したりする動機のひとつになっているのだろう。
アイナ・ジ・エンドという歌手の人がいて、まあいることは前から知っていたんだが、最近「名前かっこいいな」とふと思った。 うちで飼ってる猫は「よもぎ」という名前なんだけど、「ヨモギ・ジ・エンド」に改名したい。
↑ヨモギ・ジ・エンド
タイムマシンで過去に戻れるなら、いくつか戻って歴史を変えたいことがある:
インターネットのせいで情報の取り入れ方が複雑化したからか、目にするものを取捨選択しなければいけなくなったことにより様々な展開が発生していると思う。
私は例えば、子供が虐待されたみたいなニュースを見たくないので、ニュース自体をもうしばらく見ていない。テレビも、ネットのニュースとかも全く見ないようにしている。ただ一方、見たくないから見ないという選択もどうなんだろうなという思いもある。興味を持って情報を得て、自分のこととして考えることで防がれる事件もあるのではないか、みたいな、、一人で生きてるのではなく社会の一員として生きている以上、自分の見たいもの以外のものに一切関心を払わないことは、果たして正しい態度なのか?みたいな話だ。
あるいは、広告をブロックするアプリみたいなのの是非の話。自分が広告を見たくないからといって、広告ブロッカーを使うとサイト運営とかのサステナビリティが失われる、というのはまあそのとおりだと思う。でもそんなの別に知ったことではないというのもかなり共感できる。ただ不快で、滅びるべき広告が存在するのも事実だろう(漫画の広告とか)。
自分の中でこの「見たくないものをブロックして生きていってよいか」という話には答えが出ていない。人にそう聞かれたら「いいに決まってるでしょ」と答えると思うが、自分のこととなるとよくわからなくなる。
一方、ニュース番組とかニュースメディアの見せ方の問題に過ぎないのではないか?と思うこともある。視聴率やページビューを目的としているとセンセーショナルさを打ち出す方向にインセンティブが働くから、それが不愉快なだけなのかもしれない。
小さくてギュッとしたソフトウェアについてもう少し考えたい。
ソフトウェアシステムにはレイヤがある。レイヤー自体の種類というものがあるが、例えば電気回路、電子回路、機械語、アセンブラ、システムコール、libc、関数、クラス、オブジェクト、ファイル、モジュール、ネームスペース、バイナリ、コルーチン、スレッド、プロセス、サンドボックス、chroot、jail、コンテナ、VM、サーバ、スーパーバイザ、ハイパーバイザー、マイクロカーネル、ユニカーネル、オンプレミス、クラウドなど、これらは単純に下から上に一直線なものもあればそうでないものもあるが、だいたいこういう感じで色々ある。レイヤという言葉は文脈によって意味が変わる。
で、これらのレイヤをまたぐ瞬間に認知負荷が発生する。これは当たり前の話で、レイヤを分ける目的そのものだ。レイヤを分けるのは関心を分離したいからで、関心を分離したい理由は色々あるが、基本的には効率よく分業するためだ。
レイヤを分けることによって分業ができて、分業ができるが故に、一人の人間が観測するときには認知負荷が発生する。これはどんな種類のレイヤであっても必ず発生する。ただしその負荷の大小や深刻度は状況によって異なる。
さらに言うとこれは別にソフトウェアに限った話ではない。大抵のことは複数の層に分かれていて、層をまたぐことはコストが掛かり、かといって層を分けないと分業が困難になる。ビジネスにおいては、このトレードオフをなんとかするのが組織マネジメントだったりもする。
で、じゃあソフトウェアを作るときにどんなふうにレイヤを分けるといいのかは特に答えがない。答えがない前提で、分けるメリットと分けることによるコストは、ほとんどの場合コストのほうが大きいのではないか?というのが「小さくてギュッとしたソフトウェア」の思想だ。
プログラマーのケイパビリティで言うと、コードを読み書きすることがたぶん得意なはずなので、関数を分けたりクラスを作ったりするのはあまり認知負荷が大きくない。ただしこれもやりすぎると大変なことになる(そういうプログラムは非常によくある)。
プログラムの世界から出ると、後はひたすら認知負荷との戦いになる感覚だ。エディタを出た先は基本的にレイヤ間のつながりがなくなってしまうので、やる気のある時なら隣のレイヤに飛び移って作業を進められるけど、やる気がゼロの時(こちらが全体の95%を占めると言われている)はなにもできなくなる。
逆に言うと、明確に越境させたくないときはわざと分けてしまうとよい。会社にいる情報格差をわざと作ってメンバーをコントロールしようとする謎マネジメントおじさんとかはこれをやっている。
私が一番いいと思うのは、1台のコンピュータでプログラミングして、ビルドして、実行して、をひたすら繰り返すものだ。たとえチーム開発であったとしても、これに近い状況をいかに作り出すかが生産性・生産量にとって非常に重要だと思う。
チームでソフトウェアを作るときは、小さくてギュッとしたソフトウェアを保つのが大事だと考えている。 チームでソフトウェアを作るとき、チームメンバーの頭の中を揃えておくことがすごく重要だ。例えば自分があるコードを変更してコードレビューをしてもらうとき、レビュアーの頭の中を自分の頭の中と揃えることがとても重要で、ペアプロとかモブプロとかは結局これが目的になる。 この状態に素早くなるために重要なのが、システムがどう動くかが、一貫性のある形で、プログラムの自分たちの制御可能な部分にきちんと収まっているという感覚だ。
よくあるのは、ここからこの部分はこのコードベースにあるけど、ここから先はこっち側の仕組みで実現されているからそっちのコードを読みに行かないといけないよ、みたいなやつだ。こういうことがあると、プログラマはコードのコントローラビリティを失っているような感覚になるから、はじめからコードを全て頭の中に入れようというモチベーションを失ってしまう。これがいろいろな部分でかなり見えにくいコストになる。 例えば複数のプロセスを起動しなければいけないシステムが有るとき、各プロセスのプログラムの言語と、それらのプログラムを起動するプログラムの言語は揃えておいたほうが良い。後者をシェルスクリプトでやるとかはやめたほうが良い。プログラムを一箇所にギュッとしておくことは見えないメリットが多い。
ちょっとまだ言語化が足りないので引き続き考えたい。
両方やってたからわかるけど、アプリケーションエンジニアの認知負荷を軽減し、開発速度を高める存在としてのプラットフォームエンジニアリングは、完全に本末転倒で、自己目的化の極地である感じがある。自分の頭で考えず、ただパブリッククラウドベンダーが、自社のインフラにロックインさせるために考えた複雑怪奇なシステムアーキテクチャを模倣して、挙句の果てにこれだと認知負荷が高いから社内用にもう1レイヤー作ろう、というわけのわからない行為と言えよう。自分たちのシステムにおいて、アウトソースして良い部分と、絶対にしてはいけない部分を見極めることが大事だ。AWSやterraformの使い方を覚えることに時間を使うのは非常に無駄である。
「みんな違ってok」みたいな概念って、昔はなかったような気がするんだけど、これを最初に言語化した人ってめちゃくちゃすごいなとふと思った。起源がどこなのかは調べてもよくわからなかった。 徳川慶喜が幕府を辞めた話とか、既存の正しいと信じられている価値観と全く違うことを言ったりしたりすることが私は好きだ。「昔のほうが良かったこともある」という言説もあるけど、私は基本的に変化することは全て、変化しないよりも良いと思っている。なので選挙とかも与党には入れないことにしている。 なんか今でも印象的なのは、以前Slackのロゴが変わったときに、めちゃくちゃ文句言われていたことだ。「前のほうが良かった」と多くの人が言ってたと思う。でももう誰もそんなこと言わなくなった。変化には人間は慣れることができるから、変化のデメリットは時間によって消えて、メリットだけが残るのだ。なので変化させたほうが良い。 仕事でも大事なのは、とにかくなにか変化させることだ。その人の起こす変化の総量が、その人の仕事できるパワーであると言っても良いかもしれない。大きな変化を起こそうと、虎視眈々としていることが大事だ。変化を起こすには自分の頭の良さだけじゃなく、人格や人脈、行動力やコミュニケーション力など、あらゆるスキルが必要になる。
完全に風邪ひいて一日寝てた。 風邪をひいたときは口の中に違和感があるからわかる。変な味がするような感覚。こうなるとポカリスエットがやたら美味しくなって、それ以外のものはだいたい美味しくなくなる。
寒暖差で風邪をひいてしまった。寒暖差はつらい。 相変わらず名前空間について考えている。名前空間は素晴らしいアイディアだ。名前空間はプログラミングの概念では必ずしもない。例えば住所は、都道府県、市区町村といった名前空間の集まりでできている。名前空間は抽象化そのものであり、抽象化は人間の知性そのものと言えよう。名前空間によって人はフォーカスすべき部分にフォーカスできるようになる。
越谷ゴルフクラブにゴルフやりに行った。結果は104。始めて2ヶ月半ではかなりいいのではないか。初のパーと、なんとバーディも取れた。
今回は、トップやダフリ、ミスショットも普通に多かったのだが、ミスショットなりにちゃんと前にそれなりに飛んでくれたのが大きい。アプローチやパターも大叩きをせず、悪いホールでもダブルボギーやトリプルボギーでまとめることができた。 明日からまたスイング改造をする予定。グリップを直したいのと、フェースの回転、肩の縦回転、当てにいかないスイングを身に着けたい。
ゴルフのレッスン体験に行ってみたんだが、結論入会しないことにした。ゴルフのスイングは人それぞれで、独力で少しずつ上達していけばいいかな、、と思った。 あと予約を取るのって面倒なんだよな。予約が取れないこともあるし、取れたとして、その後予約に合わせて生活しなければいけなくなる。予約したことを覚えておかなければいけない脳のリソースが無駄というか、頭が疲れる感じがある。行きたいときにサクッと打ちっぱなしに行くのが良さそう。
今日は書き忘れたので次の日に書いている。仕事をしていた。
ニンテンドースイッチで遊んでいると、別にゲームで遊びたいわけじゃなく、とにかくなにか刺激を浴びたいという気持ちしかないことに気付く。ゲームは面白いけど、ゲームから得られる刺激には慣れてしまっているから、ゲームはどんどんつまらなくなる。 報酬系の奴隷になりたいとは思わないが、生きるというのはそういうことなんじゃないか。
プログラミングで大事なのは名前空間と書いたが、なぜそれが大事なのかわかってきたかも。
名前空間の構造は、そのままプログラムの抽象的な構造と一致するからだ。例えばプログラムでハードウェアを抽象化するとき、そのハードウェアが、そのプログラムの中でどういう立ち位置にいるのかを注意深く考えないと、正しい名前がつけられない。正しい名前がつけられないとプログラムは自然と壊れていく。名前空間が適切だとプログラムは勝手に完成されていくようなイメージが有る。これについてはいつかちゃんとした文章を書きたい。
登大遊さんが確か昔ブログで、論理的に考えないことで1日に3000行プログラムを書くみたいなことを言ってた。
https://softether.hatenadiary.org/entry/20070324/p1
そんなに書けないだろという反応が確か多かったのだが、最近仕事が忙しくそのくらい書いてる気がする。
「論理的思考の放棄」が言ってるのはこういうことだ。人間は論理的思考もできるが、論理的でない思考(感覚的思考と呼んでいる)もできる。そもそも人間は感覚的思考で情報処理を行っている。人間が行う論理的思考とは、そういった感覚的思考の上で行われた仮想マシンのようなものだ。 なので、仮想マシンを起動せずに感覚的思考のまま思考して、それをそのままプログラムにおこすことで大量のコードが書ける。
と、説明していてもよくわからないが、最近だんだんわかるようになってきた。
自分はなにか考えているとき、パッと答えだけが先に思いついて、でもその答えが正しいのかはわからない、という時がある。そして、その答えが正しいのかをちゃんと考えてみたところ、本当に正しかった、ということがある。これは昔から、小さい子供の時から頻繁にある現象だ。実際は多くの人があるのだろう。
人によっては直感というかもしれないが、おそらくこれは、単に脳がすごい速さで思考して答えを出してくれた、というだけのことなのではないか。我々はこの世界で、論理的思考とか言語化とか抽象化というものに毒されているから、それでは不十分に感じてしまうというか、ちゃんと考えて出した答えに価値があると思ってしまっているのではないか。でも、本来人間はそういう感覚的な思考ができるし、むしろ得意なのかもしれない。ビジネスでは特に、論理的に(論理的なだけではだめなんだが、)説明できないと相手を動かせない的な考えがあるかって、感覚はむしろ軽視されていそう。
夜中まで仕事してしまった。眠い。 今日は寝る。
プログラミングがうまくできるかというか、綺麗で整理されたコードを書けるかどうかは、もちろん本人の能力に大きく依存するんだが、言語機能もかなり大きいのではと思っている。
特に、名前空間が好きに切れるかというのが大きいのではないか。例えばPythonだと、パッケージがあり、モジュールがあり、クラスがあり、インナークラスも作れる。またEnumがある。C++はモジュール、ネームスペース、クラスがあり、ネームスペースが任意の位置で作れるので強い。この辺の言語は、名前空間で困ることはほぼないイメージ。詳しくないが確かRustもけっこう好きに切れる。
Cは一応名前空間という概念があるがあまり使われないというか、そういうことのためのものじゃない気がする。
Goは割とCに近いが、パッケージが一応ある。パッケージはディレクトリと対応する必要があるし、循環参照ができないから基本的に使うのがめんどくさい。同じパッケージの構造体同士は互いに参照できるのだから、パッケージ同士も互いに参照できていいと思うのだが、、
データプラットフォームというタームがある。ビジネスに関するあらゆるデータを集約して保存し、保存したデータをアナリティクスに使えるようにしたデータベースと、この構築の仕組みそのもののことだと言ってよいだろう。
データプラットフォームは今過渡期というか、こうしておけばよいという定番がまだ存在しないと言って良いと思う。私が思うに、この状況は今後も解決されることはなくて、データプラットフォームを作って運用するのはつらい、と各社言い続けてるのではないかと思う。
何故かというと、これはツールやナレッジの問題ではなく、単に現代のコンピュータの技術的限界を超えた要件だからだ。 データプラットフォームを作るとき、どんなツールやベンダを使おうと、絶対に満たさなければならない要件があり、それは「大量のパケットを、ニアリアルタイムで、重複も欠損もなく、あるコンピュータから別のコンピュータに移す」というものだ。これは、現代のコンピュータ・コンピュータネットワークの仕組み上難しい。ネットワークは物理的なものなので、途切れてしまうことが避けられず、そのせいでまず欠損が避けられない。欠損を避けるためにはリトライ送信が必要になり、このせいで重複が起きる。重複したデータを、受け手は重複かどうかハンドリングできないので、パケットをデコードしてデータの意味を確認する必要があるのだが、これが大量データだとオーバーヘッドが無視できずリアルタイム性が損なわれる。受け手のプロセスが死んだときのことなど考えると、これは単に分散システムの難しさであることがだんだんわかってくる。 「コンピュータは分散した時点で、リアルタイムな処理はできない」と言い換えてもいいかもしれない。
これに対する妥協案としていちばん簡単なのが「リアルタイムを諦める」というもので、つまりデータは一旦ローカルに永続化し、遅延を許容してゆっくりと送るものだ。
これにさらに、データの使いやすさ、利用可能性みたいなものまで入れて考えると、エンジニアの認知の限界を超える感覚がある。
Goというプログラミング言語にはunion的な、異なる型を同じものとして受け渡したりする機能がない。最近は型パラメータを使ってそれっぽくできたりするのだがあまりやられないようだ。 これに対し、「インタフェースを使えばいい」という言説がある。ただ、私はこの案はだめだと思う。なぜか。
インタフェースはポリモーフィズムを実現するための機能だ。ポリモーフィズムとは、「具体的には異なるが、抽象的には同じ」ものを、まとめて一つのコードで扱えたら便利じゃん?というものである。 よくある意味不明な例では、犬クラスと猫クラスがあり、これらはまとめて動物クラスとして抽象化できるよね、というものがある。犬と猫はたしかに異なるが、動物という点では同じである。このように、「犬と猫の違いは置いといて、動物としてひとまとめに扱いたい場面」というのが存在し、そういうときに具体的な型ではなく、一段抽象的な型としてプログラムから扱うための言語機能が多くのプログラミング言語には存在する。こういった概念をポリモーフィズムとか言うのだと思う。
ポリモーフィズムでは、抽象化して扱いたいからこそ、犬と猫の固有の部分は捨て去って、それらに共通する部分だけを考えなければならない。Goではこれらは型に対するメソッドで表現される。例えばAnimalインタフェースにwalkメソッドを設定して良い。しかし、bark(ほえる)メソッドは設定してはいけない(すべての動物が吠えるわけではないから。猫は吠えない)。
インタフェースはこのように、異なるものを同じものとして扱うためのものだ。unionはこれとは異なる。unionは異なるものなんだけどなんとかして同じような「感じ」に扱いたいだけだ。結果的にインタフェースで代用できることもあるかもしれないが、unionはもっと使い方が広い。そのようなunionの使い方は良くないから、APIを見直した方が良い、ということならまだわかるが、インタフェースで代用はできないのだ。
マクドナルドで三角チョコパイのクッキーアンドクリームが始まったので買ってきた。 味はうまいっちゃうまいが、砂糖の塊という感じだった。
クッキーアンドクリームが好きで、アイスなどで見かけると買ってしまう。サーティワンでもクッキーアンドクリームは確実に注文している。私はスモールダブルのカップ、クッキーアンドクリームとチョップドチョコレートというのが定番で、ほぼ確実にこれを注文する。期間限定とかはあまり頼まない。私は飲食店で同じものを毎回食べるタイプだ。
クッキーアンドクリームといえば、MOWのバニラに砕いたオレオを混ぜて食べるのも好きだ。MOWのバニラを少しでかい茶碗とかに移し、袋の中で砕いたオレオを入れ、混ぜて滑らかにしたら冷凍庫に戻す。健康には悪い。
今日この6Pチーズ炊き込みご飯を作った。
https://note.com/matsuoka_gohan/n/n353a58d21f1f
これすごい美味かった。記事の中ではミートソースかけてるけど、かけないほうがうまい。ミートソースをかけるとただのミートソースご飯になる。シンプルにチーズと、食べるときに塩コショウが一番うまいと思われる。
この記事はまだいいんだけど、インターネットの食べ物の記事は大げさな書き方をしすぎてるものが多すぎてうんざりする。「悪魔の」とか「無限」とか「信じられないくらいうまい」とか。嘘つくなよと思う。早くインターネットと縁を切りたい。
インターネットの記事は、大げさで極端で、誇張したことを書けば書くほど閲覧数が上がる。これは言うまでもないが、インターネットメディアが広告で運営されているためだ。とにかく人目を引けばページビューの数字が増えて広告収入が増えるようになっている。無料で得られる情報に価値はないという話だ。
楳図かずおさんが亡くなったという、ホラー好きにはショックなニュースがあった。88歳だったらしい。
楳図かずおの漫画はギャグ、ホラー、SFなど多岐にわたることが良く言われるが、私はやはりホラーが好きだ。「14歳」「わたしは真吾」「漂流教室」などのSFも名作だと思うが。 ホラーだと一番好きなのはやはり「洗礼」かな。洗礼は年を取って美貌を失った元大女優が、自分の脳を娘に移植することで若返ろうとする話だ。若返った母親は第二の人生を歩むために娘の学校の先生を誘惑して、その妻を虐待したりする。最終的にいい感じのどんでん返し落ちもあり傑作だ。
私は漫画はそんなに読むわけではないけど、今やってる漫画では「九条の大罪」は追いかけて読んでいる。これは闇金ウシジマくんの作者の漫画で、九条というヤクザや半グレばかり弁護する弁護士の話。九条は周りから不良弁護士だと思われているが、その実は依頼人に先入観を持たず、ただ法律というものに真摯であろうとする態度の表れだったりする(という話だと思う)。 あとは「住みにごり」も読んでる。これは怖さと紙一重なタイプのギャグ漫画だ。たぶん笑いながら読むのが正しいんだが、けっこう怖いので侮れない。
ホラーとコメディは紙一重とよく言うけど、あんまりその意味が言語化できてないかも。言語化したい。
福島でいくつかお土産を買ったんだが、結論萩の月が一番うまかった。萩の月は福島ではない。 萩の月が本当にうまくて、記憶の中の味を超えてきた。萩の月は全国的にもかなり人気のお土産なので、全国的にパクリ商品が存在するし、たまにセブンのようかんとかのコーナーにもパクったやつが置いてあることがある。私は萩の月が好きなのでそういうのをたまに買って、それなりに美味くて満足していた。しかし今回本物を食べたら全然違って驚いた。 外の生地のふんわり感と卵の香り、そして中のクリームが違うんだよな、、特にクリームは賞味期限が短そうな味をしているし、食感も滑らかすぎなくて美味い。ちなみに福島の土産に限定するとままどおるが美味かったです。
ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダムだが、152箇所の祠をすべてクリアしてなんかアイテムを貰えた。このあともコログ集め、ミニチャレ、エピチャレ、マヨイ、勲章、防具、地底などやることはいくらでもあるのだが、きりが良いので引退することにした。本当はもっとやりたいのだが時間が取られすぎるし、私はこういうのを毎日器用に少しずつ進めることができないのだ。
SQLの勉強を最近していたが、SQLは私にはけっこう難しい。頭いい人向けだなという感じがする。 私はプログラミングするとき、脳内アセンブラで処理をイメージしてそれを高級言語に逆コンパイルしがちなので、基本的に私の書くプログラムはすべて命令型になる。なので、SQLも本当はポインタやif、loopで書きたい。SQLはそういうのを許さないというか、根本的に全く考え方が異なる(強く宣言的といってよいと思う)ので脳内リソースを取られがちになる。それでも最近読んだSQLの本はかなり勉強になった。定義をちゃんと教えてくれるのがかなり良かった。 どうしてもRDBがファイルシステムやメモリの上でどうなっているかを考えてしまうんだが、SQLは単にタプルというか、集合としてデータを抽象化して扱う必要がある。逆にそれさえできればあとは文法覚えゲーになり、必要な関係を取ってきたりくっつけたり加工したりするだけだ。RDBがややこしいのは、そうやってメモリ上の表現を抽象化して隠蔽しているくせに、インデックスや実行計画への理解を求めてくるところだ。場合によってはbinlogとかバキュームとか、そういう低レイヤの知識も必要になる。そういった点でRDBはまだまだ発展途上というか、抽象化に漏れが多くあってブレイクスルーのポイントが多くありそうではある。
あづま総合運動公園のイチョウ並木すご!
白河ラーメンうま!
なんか猿もいた。この辺の動物注意看板に書かれている動物は猿。
福島、全体的に何も無い感じで良かった。もう少し個性を出していくといいのになと思った。ポテンシャルは高い。
理由あって福島に来た。 うまい駅弁(山形)。
福島はラッキーが応援ポケモンになっている。
福島駅近くのうまい餃子屋。福島は実は餃子が有名らしい。なぜ?実際うまい。
なんか忙しい1日だった。 田舎とかに移住したい。 明日から日記はちゃんと書く予定。
最近日記を書くのがダレているんだが、完全にゼルダのせいなんだよな。 今は152の祠をすべて攻略するというチャレンジをしていて、残り2つになった。このゲームやること多すぎる。
最近ゼルダのせいでマジでゼルダ以外のことが何もできておらず焦っている。早く辞めたい。
最近でかいテレビを買ってからというもの、「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」が捗りすぎてヤバい。自分はそんなにゲームをしないと思っていたけど、環境のせいでしかなかったのだとわかった。 ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダムは戦闘の難易度がちょうど良いし、パズルの難易度も良いし、報酬やフィールドの要素などが依存させるようにできている気がする。これはヤバい。早く終わらせたい。
クレジットカードの明細を見て、「不正利用されてる!?」と思うも、項目を見ると全て自分で払ったやつだった、というのを久しぶりにやった。あれは焦る。理由はわかっていて、ゴルフを初めて結構いろいろ買ったのと、住民税をクレジットカードで払ったからなのだが。
Zigという言語はCのようにシステムプログラミングができる言語で、リンカスクリプトを食わせることもできるのでほぼなんでもできる。Zigも当然自前でメモリ管理する必要があるのだが、malloc/freeではなくページ単位のアロケータを使う。Goのdeferがあり、スコープを抜けると自動でメモリ解放はしてくれる。これを知ったとき、Rustよりも絶対こっちのほうがいいなと思った。 Rustはコンパイルを通すのが無意味に難しすぎる。別に難しくてもいいのだが、勝つのはイージーな方だろう。Pythonが一番使われているのと同じ理由だ。簡単な方が良いのだ。
SQLを雰囲気で書いているのだが、最近仕事でよく書くのでちゃんと勉強しようと「達人に学ぶSQL徹底指南書 第2版 初級者で終わりたくないあなたへ」を買ってみた。
この本はかなり良くて、SQLはやりたいことに対してサンプルを示す形で解説されることが多い。この本は章にもよるが定義に割とフォーカスしていて、例えばウインドウ関数はそもそも何ができるもので、それは具体的にはどうするのか、ということが書いてあるので理解しやすく、私には合っていた。
RDBは昔作ってみたことがあって、すべての機能とはいかないが、テーブルを作ってデータを入れて、それを簡単に検索できるところまでは確か作ったんだよな。RDBは適当に作るとでかいデータに対して全くパフォーマンスが出ないことがもうわかっていて、それに対してB+木とかバッファプールとかWALとかで対抗するのだが、それ故に作り方がかなり重要というか、作り方を知っているかのゲームになってしまうところがあり、車輪の再発明としてあまりおもしろくないのではないかと思っている。
RDBもブレイクスルーが来るべきだと思っているのは、やはりインデックスの存在だ。RDBのユーザがインデックスに気をつけて慎重にクエリを書かなければいけないのは、どう考えても抽象化に失敗している。全てのカラムにインデックスを付けるのはアンチパターンとして知られているし実際そうなのだが、この辺ってなんかもっとやりようあるのでは、と思っている。
Catlog Boardという製品を使い始めた。数日前からCatlog Pendantという首輪型の猫デバイスを使っているが、同じメーカーのもの。 猫トイレの下に置くボードで、体重計測やトイレの回数などが記録できるらしい。使ってみたがこれはかなり正確そうで良い。たぶん通常時の重さと、猫が乗ってきたときの重さの差分を出しているだけだと思われるが、シンプルで良い製品だと思った。
ボードが入ってた段ボールを少し工作すると、爪とぎベッドになるようになっていて、これをうちの猫がかなり気に入ったようだ。アプリのUIもそうなんだけど、キャトログは全体的にこういう遊び心とかUIの可愛らしさみたいなものはけっこう秀逸だと思う。
飛行機に乗ったわけではないんだが、成田空港に行った。 私の家からは成田空港も羽田空港もほぼ移動時間が変わらないのだが、羽田空港へ向かう常磐道や首都高は道路が混みやすいため、成田のほうが早く着くことが多い。ただし成田空港は圏央道ルートの場合片側一車線なため、事故ると完全に通行止めになるリスクが有る。成田空港には外環からの東関道ルートもあるが、これは習志野付近が混みやすい。
渋滞がかなり嫌いなので、混みそうなときに混みそうな場所へ行かないという生活を心がけている。出かけるのも専ら平日。土日は家でプログラムを書こう。
諸用で箱根に行った。「湯葉丼 直吉」の湯葉丼と、板わさ、吟醸豆腐。めちゃくちゃうまい。
このあと「箱根湯寮」で風呂にも入った。
箱根は都内から近いことが良いところで、それ以外はたいしたことないというイメージなんだけど、まあ実際それはそうだが、それでもそこそこの楽しさが約束されてる感じがいい。
キャトログ ペンダントという、猫の首輪を導入した。これを使うと猫のとった行動を記録でき、食事や水飲み、トイレのタイミングや頻度などを計測できるから健康管理に役立つというもの。
使ってみた印象としては、精度が普通にあまり良くないので割と要らなかったなという感じがしてる。 色々調べた感じ首輪の中にIMUが入っていて、加速度とか角速度の変化から動いてないとか走ってるとか水を飲んでるとかを判定してるらしい。普通に考えてこれで精度が出るはずがないよなと思う。機械学習でやってると強調しているけど、教師データもちゃんと作れないのではないか。やたら値下げして売ってるからなんでかなと思ったけど、プロダクトの良くなさからくる自信のなさではないかと思った。
アプリの見せ方も微妙だと思っていて、このアプリは開いた瞬間に「いま猫は寝てます」とか「水を飲んでます」と出てくるのだが、これが合ってないことが多い。これが合ってないとかなり信用できないなという印象になるので、もっと大体合ってる的なイメージにしたほうがいいのではないかと思った。
猫の飼育環境は家によって様々だし、IMUだけだと普通に姿勢を間違えるだろうから仕方ないような気もする。ちゃんとやるならGPSやカメラ、マイクが必要だと思うが、家庭で使うことやセンサのバッテリー、猫に与えるストレスも考えるとこうなったのもわからなくない(IMUだけで判定してるというのはネットで調べた情報なので、もしかしたら違うかも)。いずれにせよ大して使える製品ではなく、特におすすめも今のところできないがせっかく買ったのでもう少し使う予定。
打ちっぱなしで300球打つと、最後の方はゴルフの神みたいな気持ちになるし、実際ほとんどミスショットしなくなる。今日は270球くらいドライバー打った後アイアンの練習したけど、アプローチですらめちゃくちゃ良くなる。量が質に転化するというのは絶対あるし、ゴルフも例外ではないだろう。
結局飛ばすのが大事で、飛ばないけどめちゃくちゃきれいなスイング、というよりも、とにかく飛ぶスイングを追求して、あとから細かいところを直すほうが良い。飛ばないということは打ち方が間違ってるということだ。
日記書くの忘れてて23日に書いている。こういうこともたまにある。
「ソフトウェアエンジニアはコードを書かずに問題を解決できるならそれが一番良い」という話がある。これ、言っている意味はまあわかるが、普通に考えてそんなわけないだろという気がしている。
コンピュータを使う目的はなんだろうか?コンピュータは計算をしてくれる機械で、こと計算に関しては人間よりも圧倒的に速くて正確だ。ソフトウェアエンジニアの強みはコンピュータを操れることで、これはそれ以外の人にはできない特殊能力なのだ。
なので、ソフトウェアエンジニアは必然的に、コンピュータの持つ圧倒的な計算能力を使って課題を解決する人であるということになる。ここで重要なのは、「コンピュータの計算能力を使えばこういうふうに解決できるな」というエンジニアならではの視点を持つことだ。これがないのであれば単なる作業者でしかなくなる。
だから、ソフトウェアエンジニアはコンピュータの性能をいつでも100%使い切れるようにしておかなければいけない。コンピュータの性能を100%使い切れることが特別なのだ。
人間がなにかアクションを起こすときのモチベーションのほぼ全ては、「他人にマウントを取りたい」「他者よりも自分のほうが優れているということを顕示したい」といったことなのではないか?と最近考えている。
例えば映画の感想の文章を読んでいるときこう思うことが多い。映画や本の感想が「面白かった」とかな人は馬鹿にされがちな風潮があり、他の作品との関連や、隠されたメタファー、具体的な描写に隠された抽象的なつながりなどについて言及することが賢い的な風潮がある。 それはそれで間違ってないとも思うが、私がこういう時に想像してしまうのは、そのレビューを頑張ってスマホで打ち込んでいる姿だ。他人が気づかなかったことに言及することで賢いと思われたいという欲求がそこにはある。
ツイッターなどのSNSは更に顕著だ。なにかSNSにポストするとき、「他人から賢いと思われたい」「他人から羨ましいと思われたい」という欲求が乗っていることはかなり多いだろう。そうではない、という人は、メタ認知が足りないだけだと思う。
これはなぜか?というと、私の考えでは、書くという行為の本質はこういうことだからだ。「自分だけが知っていることを他の人に教えてやる」のが書くということの目的であり本質だと思う。他の人も誰でも知っていることは書く必要がない。
「善行を働いたときに、それをいちいちツイートしないで黙ってやれ」という人がいるが、あれは非常に本質的な指摘だ。書くことは自分の特別さの顕示なのだ。ツイッターは自分がいかに傲慢で厚顔無恥かを垂れ流すツールだ。
ツイッターでいいことや賢そうなことを言ってる人を見ると、私はその人の姿を想像する。ポッケからスマホを取り出し、賢いことを頭の中に浮かべ、それをスマホに打ち込む。このとき彼の脳内は、あと数秒後には賢いと思われることができる、嬉しい、という興奮に支配されており冷静さを失っている。打ち込んでツイートボタンを押したら一度ツイッターを閉じる。しばらくすると、「いいねはどれくらいついたかな?」と思いながらまたアプリを開き、いいねがいっぱいついてるのを確認して、脳の報酬系を喜ばせる。このとき興奮は最高潮に達する。この、「いいねがついてるかわからない状態」から「いいねがついた状態」に変化する瞬間は、スロットマシンが回ってる状態から止まる瞬間への変化と同じだ。ツイッターはギャンブルと同じ。
今日の日記はちょっとさすがに性格が悪すぎる気がするので、猫の写真で中和しておこう。
たまにレストランとかで「しぼりたてモンブラン」を売りにしているところがあるけど、モンブランは搾りたてでもあまり変わらないのではないか?と思った。こういうことだけを毎日日記に書きたい。
最近、コードレビューって非常に不毛な行為なんじゃないかという感覚がすごくある。明確に確認してほしいところについて、詳しい人に依頼して見てもらうとかならいいと思うんだけど、なんとなく依頼してなんとなく見るみたいなことが多いのではないか。 現代のソフトウェアは過剰品質だと思っていて、例えば可用性は99.9%も要らないと思う。デプロイの合間に数秒ソフトウェアが使えない時間があっても大した問題じゃないと考える。 ソフトウェアはサッと作って壊れていたらサッと直せるのが良いところなので、そのアドバンテージをもっと活かしていけないだろうか。とか言ってたら、いつか足元をすくわれそう。
「習得への情熱」をまだ読んでいるんだが、「習得理論者」という話が出てきた。習得理論者は結果を努力と結びつけるが、そうでないものは結果を自分には変えようのない前提と結びついていると考える。習得理論者は結果的に難しい問題に直面したときにそれを乗り越えられる可能性が高い。
マネジメントのセオリーには「能力ではなく努力を褒める」というものがあるのだけど、これと同じ話だなと思った。能力を褒められた人は、能力がないと思われることを恐れるようになるので、失敗しないように消極的な行動を取る。それに、前提となる能力という固定化されたものが存在しているという考え方自体を与えることになるので、成長しようという意欲を奪いやすい。努力を褒められると、努力することで結果に結びつくのだという考え方自体を与えられるので、成長するためにさらに努力しようと動機づけしやすい。
仕事で人を褒める時に「頭が良い」とか「仕事ができる」と褒めるのはダメで、「毎日努力してたね」「本当によく勉強したね」という言い方のほうがいいよ、という話だ。
本に書かれていたのは、習得理論者に転換することはいつでもできるという話だ。これはなにかエビデンスがあるらしい。自分も気をつけたいなと思った。
私はよく頭痛になるんだが、妻が頭痛のときはミネラルを摂ると良く、なので塩とかを舐めたほうがいいという謎の情報を仕入れてきた。今日も夜に頭痛が起きて、妻が塩を舐めろと進めてくるので、岩塩を舐めてみた。結果として、一時的に頭痛が治ったものの、しばらくしたら再発した。謎のテクニック。
プログラミングにおける言語化されてないテクニックって、まだまだ山ほどあるんじゃないかと思っている。例えば凝集度と結合度の話とかは、抽象的すぎて理解に差がありすぎるから議論にならないことが多い。こういうのを言語化していきたい。
この日記をデプロイする仕組みが突然動かなくなったので直した。何も変更してないのに、なぜこういう事が起こるのか謎。
GitHub Actionsはデファクトっぽい雰囲気があるけど、割と何がそんなに良いのか謎ではある。遅すぎるんだよな。ワークフローのページでジョブごとの実行時間が表示されるけど、実際はジョブとジョブの間にも微妙に見えない時間がかかっている感じがある。
CI/CDは便利だけど、リモートサーバで処理をしなきゃいけないことによるめんどさが果てしなくたくさんある。もっとシンプルにできる余地がたくさんあるはずだ。最近は普通にローカルでコミットフックするやつでいいのではという気すらしている。
Helix Editorを使い始めたよという話をしておくか。
10年以上使っていたvimを辞めてHelix Editorに移行してから3ヶ月ほどになる。すこぶる快適で、もうvimに戻ることはないだろう。
vimは好きだけど、使ってる人がいっぱいいるし、日本人のvim界隈の内輪ノリ(に私から見えているもの)もあまり好きじゃないので辞めてみた感じ。Helix Editorは前から気になっていた。
Helix Editorはvimのようにモードがあるエディタなんだが、一言でいうとエディタの操作がかなり体系付けられている。操作はselectionと、selectionに対するactionで構成される。これはkakouneエディタにインスパイアされているらしい。
例えば、vimで1行を削除するときはddコマンドを実行するのだが、Helixではxdだ。これは、xというセレクションと、dというアクションを組み合わせたものになる。xはカーソルの当たっている行を選択するセレクションで、dは削除のアクションだ。 このセレクション-アクションというパラダイムの優れている点は、覚えることを減らせることと、一貫性のある操作が可能なことだ。プログラマは1行を選択するセレクション(x)を覚えれば、例えば削除だけじゃなくヤンク、サラウンド、置換などその選択した行に対して様々なアクションを適用できる。つまり、ものすごく雑に言ってしまえば、10個のセレクションと10個のアクションを覚えると、覚えることは20個でも、できることは掛け算で100個になる。実際はここまでエディタの操作は抽象化できないものだろうし、実際完璧にそうなっているわけでもないが、Helixやkakouneが実現したいのはそういうことだ。
vimではどうだろうか?vimは長い歴史で積み重ねられてきた巨大なソフトウェアなので、どうしても何故?という点があると思う。例えばxで1文字削除なのを覚えたとしても、1行削除のddは全く異なるコンテキストで、ただ単純に覚えるしかない。Helixのように整理された、体系立てられたインタフェースを提供できるのは後発ソフトウェアの強みと言えるだろう。
また、LSPやファジーサーチ、サラウンド、easymotionなどの機能はビルトインされている。これはおそらく、vimを使う多くの人が使っているプラグインは、最初から入れてしまったほうが効率が良い的な思想だと思われる。逆に、vimに一応あるけどみんな使わないだろ的な機能は消えている。このへんの設計思想が秀逸だなと感じることが多い。
Helixにはプラグインがないのもよい。私はプラグインを面倒くさがって使わないのでなくてよいのだ。 思うのは、エディタがプログラミング的な生産性にどれだけ寄与するのかということだ。プログラミングは頭の中でやることで、プログラムはその成果物でしかない。脳からテキストファイルにプログラムを直接出力できるようになると、誰もエディタのキーバインドを覚えることをしなくなるだろう。
解くべき課題が難しくなればなるほど、この傾向は顕著になる。自明なものを作っているうちは、エディタからプログラムが出てくる速度が律速だ。解くべき課題が難しいとき、人の頭がボトルネックになる。エディタをカスタマイズしない理由はこれだ。プログラミングという作業で一番時間がかかるのは何をプログラムするか考えることであり、エディタを便利にしても全体は速くならないのだ。
あとキーボードの話。エレコムのレジェロを使っている。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CJTG5VDS
レジェロは知名度が全くなく、おそらくこの世に使っている人は私しかいない。大抵10000円しないで買えるけど、私には高級なキーボードとの違いがわからない。
これはWindows、Mac、Ubuntu全てで使えるのが良い。
Xiaomi TV A Pro 65インチを購入。
画質が綺麗すぎて割と驚いた。これはアリ。ゲームや動画視聴がしやすくなりすぎて良くなさそう。
これをPCモニターにもできるか?というテストのためにもこれから使う予定。プログラミングは小さい文字をきれいに表示する必要があるので割と画質がシビアなのだ。ノングレアでないことがどこまで重要でないかも確かめたい。
また日記書くの忘れてた。忘れてた日は短めで良い。
Halideのアイディアはアルゴリズムとスケジューリングを分けるというものだけど、これに対してtinygradはスケジューリングは全て自動化し、むしろプログラマがスケジュールを指定不可能にしている。Halideにもオートスケジューラは一応あるが、インタフェースが全然違うようになっている。
ジョージ・ホッツのプログラムは別に綺麗ではなくて、むしろ割とめちゃくちゃなことが多い。普通のそのへんのプログラマが書いたら、めちゃくちゃレビューコメントがつくようなコードだ。でもジョージ・ホッツのプログラムはインタフェースが本当によくできていると感じることが多い。プログラムが一見めちゃくちゃに見えても、プログラマはすぐに慣れるから大丈夫、みたいな思想を勝手に感じている。
日記書くの忘れてて、これは10日の夜に書いてる。 「習得への情熱 チェスから武術へ」という本を読んでいるのだけど面白い。
あと、白井智之の読んでなかった短編を2冊買ってきた。これを読めば、あとは最新のやつ以外全部読んだことになる。久しぶりに作家にハマった。
文藝の秋に安堂ホセの「DTOPIA」が掲載されており読んでいるんだけどこれが面白い。多人種でやるバチェラー?みたいな番組の話。安堂ホセを初めて読んでいるんだけど他のも読みたくなった。
カルディで岩塩を買ってきた。使うときにゴリゴリ挽くやつ。岩塩はおいしいし体に良い。
WP EngineとAutomatticが揉めているらしい。
https://gigazine.net/news/20241004-wp-engine-sued-automattic/
私はこれは普通にマットさんの言い分を支持する。OSSは身銭を切って(自分の時間も含め)作っている人が一番偉いのだ。ソフトウェア開発者が人格者である必要もないし、素晴らしいソフトウェアを作ってそれが多くの人に使われているならそれだけで偉大だと思う。
ElasticsearchがAWSと喧嘩してた件も似たような話で、私はAWSにけっこう憤りを感じる。
GPLとかっていうのはそもそも、昔はソフトウェアはクローズドソースで作ってそれを売るというビジネスをみんなするわけなので、そこでOSSにタダ乗りされるのもムカつくから、貢献がクローズドにならずアップストリームに集まるようにしましょう、という思想だったはずだ。 でも最近のパブリッククラウドビジネスはこの前提が当てはまらない。彼らが売ってるのはソースコードじゃないからだ。彼らはプラットフォームを売ってるので、ソースコードがオープンかどうかはもはやどうでもいいのだ。なのでこのまま行くと、OSSはビッグテックだけのものになってしまう。私はそうなってほしくない。
シャオミのポップアップストアを見に渋谷に行った。Xiaomi TV A Pro 2025の実物を見に。
画質は驚くほど良く、この価格ならこれでいいじゃんというものだった。近い内にリビングに置くチューナーレスのモニタはシャオミで買うと思う。仕事用のモニターは、ハーフグレアなのが気になりまだ悩み中。
写真は中目黒の関谷スパゲッティの醤油バジリコ。昔中目黒に住んでた頃にたまに行った店。関谷スパゲッティは安くて美味い。
中目黒に来たので、スターバックスリザーブロースタリーにも来た。死ぬほど混んでる。クオリティは高いと思うが、ここはカフェというよりテーマパークだな。
渋谷で買ったTABLESのクリームサンド。ラムレーズンとストロベリーチョコレートを食べた。美味い。
本当は幡ヶ谷のkasikiにも行ってみたかったのだが、お腹がいっぱいだったので辞めた。 いい一日。
PGM石岡ゴルフクラブ行った! 仕事してる会社のコンペに誘ってもらった。
前回より確実に上手くなっていたが、途中から全然上手く振れなくなってしまった。 最初の頃が一番リラックスしてうまく振れていたなあ。 もっとうまくなりたい。
もっと練習したいのだが、左肋間痛があるので少し練習は休む。これはゴルフ初心者あるあるらしい。その間は家でパターを練習しよう。
確実にゴルフのせいなんだが、左の背中側の肋骨が痛い。調べたところこれはゴルフ初心者あるあるで、練習しすぎるとよくこうなるらしい。仕事の人に話したがその人も初心者の頃なったらしい。くしゃみとかするとそこそこ痛い。
壊れたモニターを買い替えようとしていて、JAPANNEXTのJN-i50U-Uという50インチモニターを買ってみたのだが、結論としては失敗だった。エディタの文字が滲んでしまいプログラミングが困難である。サイネージなどにおすすめという商品を買ったのが悪かった。返品することにした。
いくつか候補がある。まずはLGの43UN700T-Bで、これは以前使っていたモニターの後継機だ。これは間違いないのは分かっている。42.5インチで価格は79740円。
次に、シャオミのXiaomi TV A Pro 2025シリーズ。これは最近やたら安いことで話題になっていたものだ。43インチで39800円だが、これはあくまでチューナーレステレビなので、PC用モニタではない。例えばPCの電源に連動してモニターも電源が入るような機能はないらしい。画質も気になる。渋谷に今シャオミのポップアップストアがあるようなので見に行こうかと真剣に考えている。
もう一つの選択肢は、モニターモードやゲーミングモードのある有機ELテレビをPCモニターとして使う案だ。これは画質は間違いないし、テレビは基本的に流通量が多いので意外と安く手に入ったりする。 有機ELは焼き付きが避けられなくて、昔のモニターみたいに同じ画面をずっと表示しているとそこが跡として残ってしまう。これはテレビのように常に画面が動いていたら良いのだが、PCのタスクバーなどは問題になりやすいらしい。
あとは、そもそも40インチ以上は要らないのでは?とも思っていて、32インチにするという手もある。これだとDELLとかBenQとか選択肢がだいぶ広がる。でも43インチがやっぱりいいかなあ。普通にエディタを横に並べられるのは便利なのだ。
書いてみると割とLG一択な気がしてきた。シャオミだけ渋谷に見に行って、LGで決めてしまおうか。
DON’T BUILD YOUR CASTLE IN OTHER PEOPLE’S KINGDOMSという記事を読んだ。
プラットフォームは必ずとってあなたにとって不利益で、プラットフォームにとって有益な変更を必ず施すから、プラットフォームに依存するなという話。
私にとってはパブリッククラウドがこれなんだよな。パブリッククラウドを、手軽にコンピュータが調達できる手段として使うくらいはまだいい。便利なマネージドサービスに依存するのは本当に辞めたほうがいいと思っている。パブリッククラウドはそれが賢くて懸命なことだと喧伝して、それをしていないあなたたちはレガシーだとかDXに失敗しているとか言い張っている。普通に考えてそんなことありえないだろう。メディアも一緒になって、自分の頭では何も考えていない印象だ。
普通にGitHubとか、Googleが作ったスマホとかもこんな感じだと思っている。穿ちすぎているだろうか?最近はそれもわからなくなってきた。
最近は、ニューラルネットワーク同士がコミュニケーションするプロトコルが必要なんじゃないか?ということを考えている。今のAIに欠けている議論はここではないか。ソフトウェア2.0の時代でも各社がそれぞれでニューラルネットを作っているだろうからな。これは自然言語である必要はないが、デコードしたらヒューマンリーダブルになってる必要はある。これは学習させるというより、学習ライブラリに勝手に入っている必要がある。
人間がなにかやりたいことがまずあって、それを達成するために最初に取るアクションというものがある。この間には無数の中間表現があり、プログラムはその一つだ。これが無限にエンドトゥエンドに向かっていくのが、AIの時代だ。ネットワークとか電子回路とか、そういうのがAIに置き換わる感じはあまりしないけど、ニューラルネットが別のニューラルネットに何かをお願いしたりすることはあるのではないかと思う。これは技術的な問題というより、会社や組織の問題で、ある種コンウェイの法則と言える。
メガネが壊れた。 ブリッジからちぎれてしまった。どうして、、 まあJINSの安いメガネだから、こんなもんかなという印象。 最近オーラリングをなくしたり、モニターが壊れたりメガネが壊れたりしており怖い。お祓いの機運か。
ビアードパパの10月限定のシュークリーム買ってきた!ゴディバのショコララングドシャシュー。めっちゃ美味い。
ビアードパパの期間限定シューは、どれも美味いんだけど、基本的に必ず「普通のカスタードシュークリームのほうが美味いな」となる。カスタードがうますぎるから。でも今回のゴディバは、カスタードと引けを取らないと感じた。めっちゃ美味い。
ゴディバって昔と販売戦略が変わってるような感じがする。昔は高級チョコの代名詞で、バレンタインにだけ食べられるものという感じだったと思う。今はカフェっぽくなっていたり、こうしたコラボもよくやっていて、マーケティング担当者が変わった感じがする。昔のイメージもまだ割とあるので、うまいことやっている印象。
あと、モニターが壊れた。LGの43UN700、41.5インチ。映るは映るのだが、画面の概ね右半分がかなり暗い。どうして、、 Amazonの購入履歴で調べたら、購入からほぼちょうど4年経過していた。考えてみると、モニターって落としたりぶつけたりして派手に壊すか、何らかの理由で売ったりして処分することが多いイメージだ。寿命的に壊れたのは初めて見たかもしれない。4年というと決してめちゃくちゃ長いこともったなというわけではないだろうが、そんなもんと言えばそんなもんな気もする。
今引っ越しも考えてるし、冷蔵庫もいい加減一人暮らし用の上に電子レンジ乗せられるやつから買い替えたいので、出費が大きくなりそうだ。
なんかすごい日常っぽい日記になった。油断するとソフトウェアのことばかり書いてしまうので、日常を書いていきたい。
白井智之の「そして誰も死ななかった」を読んだ。動機がかなり良くて、きっかけとなる晴夏という人物の導入から事件の解決にいたるまでのストーリーがとても良かった。読んでる時はストーリーが全然わからないのでかなり意味不明なんだけど、ストーリーが分かると途端にシンプルな話になるのがすごい。
白井智之で読んでないのが残り3冊くらいしかない。気合入れて読むぞ。
ゴルフ場デビューした。 やってみてわかったことが色々あるが、とりあえず練習のやり方を変えないとだめそうだ。このクラブでこういうふうに打てば何ヤード飛ぶ、ということに再現性を持たせないとスコアは上がらないだろう。
一緒に行った人は78とかいうわけわからんスコアだった。うますぎ。
家にあった牡蠣のオイル漬けでパスタを作ったらめちゃくちゃ美味しくできた。 スパゲッティを20秒くらい短く茹でる。牡蠣のオイル漬けに入ってたオイルでにんにくを炒め、そこにスパゲッティを投入。塩コショウをガンガン入れる。ゆで汁を若干入れる。牡蠣を入れる。しばらく混ぜる。
あと柿にクリームチーズを乗せて生ハムで巻いたやつも食べた。うまかった。
今日も銭湯に行ったんだが、岩盤浴がほぼ一人で貸切状態だった。岩盤浴は汗が出るのが楽しいので中毒性がある。書くの忘れてたので短め。
はま寿司に来た。
カニカマつつみとかいうわけのわからない寿司。味はうまい。
最近朝5キロほど走るようにしてる。走ると気持ちがいい。
私がやりたいことは、Software 2.0を自分の目で見たい、そこになるべく中心で関わりたい、ということなんじゃないかと最近思ってきた。ソフトウェアには今よりもっとポテンシャルがあって、それは人間がちまちまプログラミングしていてはたどり着けない。人間には複雑すぎて到底扱えないようなものとしてのソフトウェアを見てみたいし、そのときにプログラマはどんなふうにモデルを作っているのかに興味がある。
Halideという優れた言語はtinygradに大きな影響を与えていて(たぶん、後はTVMだけど、TVMもHalideの影響を受けている)、Halideのパラダイムはtinygradのコードの中によく出てくる。Halide勉強したい。
最近のITがつまらなくなっているみたいなのをたまに聞くけど、それはまあその通りという感じがする。
ソフトウェアエンジニアは何が面白いかというと、発明することだ。これまでなかったものを発明して、それを人に使ってもらうこと。これ以外は全て、この発明の面白さにつながる途上でしかないと考えている。
例えば今のWebシステム開発が昔よりつまらないのは、昔は発明する余地があったからだ。昔はロードバランシングとかデプロイとか、オーケストレーションとかプロキシサーバーとか、何もなかった。すごいっぽいプログラマがこれを勝手に作って、自分たちのシステムに組み込んで、それをよそに広めたりしていた時代だ。
今は、ちょっと思いつくようなものはすでに誰かが作っていてデファクトが存在する、という時代だ。もっと言うと、パブリッククラウドが作った仕組みをひたすら自分たちのシステムに適用していくことが「ベストプラクティス」になっている。独自性のあるものは負債だとかレガシーだとか言われてしまう。
こうなるとエンジニアの仕事は発明することではなく、誰かが書いたドキュメントを読んで、誰かが作ったプログラムの使い方を覚えることになるので、それはまあつまらないと感じて当たり前になるだろう。
これは同時に、ITという産業の成熟とも言えるだろう。例えば、現場で家を作るような仕事で「発明」は必要なのだろうか。必要なのは要件にあった家を設計すること、その設計通りに作ることであり、ここで急遽革新的なことをされると、「いいね!」よりも「そんなことして大丈夫?」「壊れない?」「お金めっちゃ払ってるんだけど?」という気持ちになるだろう。仕事というのはそういうものだ。
Webというのは本当に優れた仕組みで、インターネットにアクセスすれば誰でも使えるし、技術的にある程度標準化されている。WebサービスやSaaSといった形で、ビジネスの型が生まれた。OSSとかいう、優れたソフトウェアを無料で使えるだけでなく、それで儲けることすらできる仕組みもこれを後押ししただろう。これによって世界中でリソースが投入され、急速に技術発展した結果が今の世界だ。Webシステムを作ることは、あまりにも簡単になってしまった。
エンジニアリングマネジメントという概念もこの産物だ。多くのITビジネスにとって発明はもう不要だから、管理やチームワークの重要性が増したのだ。
この世界でソフトウェアエンジニアのキャリアの概念も大きく変わった。それがフルサイクルエンジニアとか言われているやつで、これは要するに、ソフトウェアを作る目的にフォーカスしている。ソフトウェアを作った後にそれが使われること (これが売上になる) を追求するために、色々と考え方をシフトする必要がある。今の広く浅いソフトウェア開発とも相性が良いだろう。
さて、フルサイクルエンジニア的な概念はしばしばビジネス貢献とセットで語られる。これは、ソフトウェアを企業活動として作っているから。ソフトウェアを作る目的は金を稼がせることで、そのためには便利で顧客が欲しがるものを作る必要がある。
プログラマは、ビジネスとはある種かけ離れたところがあったが、これも昔の話だ。Webの世界はソフトウェアを作ることが簡単だから、ビジネスをやらない奴は暇になるし給料が上がらない。顧客満足や売り上げの向上にソフトウェアエンジニアがはみ出していくのは必然なのだ。
でも、本当にビジネスに貢献したいなら、やるべきことはプログラミングではなく営業だ。今すぐエディタを閉じて、パワーポイントとSalesforceを開いた方が良い。プログラミングは人に任せるべきだ。
AWSやGoogle Cloudはソフトウェアエンジニアの技術力をどんどん奪っていく。クラウドやDockerを使っている限り、Linuxのことを本当に深く理解することはできない。VPCを使っていては、ネットワークのことは理解できない。何かを発明するためには、今あるものがどのように動いているのかを、本当に高いレベルで精密に理解する必要がある。
私見では、Webシステムエンジニアのフルサイクル化は止まらないだろう。これは経営的意思決定だからだ。だからこそ、積極的に外に出てもいいんじゃないかなと思う。
今あるものが最上なわけでもない。ソフトウェアは一人でも作れる。発明を喜びにしても良い。
白井智之の「東京結合人間」を読んだ。今回も傑作。 寺田ハウスとかいう、完全にテラスハウスをパクっているふざけた3人組がかなりコミカルでよい。早々に退場してカリガリ島編になったかと思ったら、ちゃんと伏線回収してくれた。エピローグも素晴らしく良かった。異常に頭を使うからか、読み終わったときものすごく疲れている。
今日の朝は5キロくらい走ってみた。ダッシュも飽きてきたため。外を走るのは気持ちがいい。
今日もゴルフの練習したが、ドライバーとアイアンを明確に打ち方を変えてみたところかなり安定するようになった。知り合いの上手い人は打ち方変えてないと言ってたが、普通に考えてあれだけ長さが違うのだから打ち方は違うだろう。ドライバーは、右足に体重を乗せ、そのままトップからインパクトまでは体重の乗せ方を変えずにそのまま打つと安定する。
今日は「牽強付会」という言葉を覚えた。
ゴルフの練習してた。だいぶ上手くなってきた気がするが、ドライバーがむずすぎる。
洋麺屋五右衛門でジェノベーゼ食べた。ここのジェノベーゼおいしい。
星乃珈琲店でスフレも食べた。スフレとかいう食べ物美味すぎる。星乃珈琲店では何故かメニューとして目立たないが、これは良い。
少し前に無くしたオーラリングだが、結局再度購入することにした。ダメ元でサポートに、なくしちゃってまた買おうと思ってるんだけど、ディスカウントとかない?と聞いてみたら、専用のURLをくれて、そこから買うと少し安くなった。言ってみるものだ。
木更津のアウトレットに行って買い物などした。ゴルフシューズと56度のウェッジを購入。 木更津のアウトレット、店がかなり多い。ゴルフショップも多い。ただ、ゴルフショップに置いてあるアパレルやキャディバッグなどの商品はどれも非常に厳しいデザインをしているので、結局シューズはコールハーンで買った。ゴルフに関する商品のデザインの厳しさはなんとかなってほしい。マジで小学生みたいなデザイン。
パスワード管理にGoogleパスワードマネージャを使っているのだが、Googleネイティブな機能をあまり使いたくないので、なにかもっとシンプルなものに移行したい。割と真剣にGNU passを考えている。
https://www.passwordstore.org/
自動入力とかは使えなくなりそうだけど、そんなにいろいろ便利でなくても別にいいかなとも思う。
普通にGoogleを使うのも辞めたいんだよなあ。写真だけはどうにもならない気がするが、、
アレルギー性鼻炎がひどくてあまり何にも集中できなかった一日。 私はそもそもアレルギー性鼻炎持ちだが、たまにひどい日がある。
勘では、睡眠時間と症状の出やすさが関係している気がする。最近ミスってオーラリングを無くしたので睡眠時間が計れていないのだが、またなにかしらで計測し始めたい。
この日記にはソフトウェアやプログラミング、AIのことは書かないというルールがなんとなくあったのだが、このルール要らないのでは?と思ったので、そういうこともたまに書くことにしよう(そうしないと、ただ仕事して寝た。みたいな日に書くことがない)。
久しぶりに「CPU Utilization is Wrong」という記事を読んだ。
https://www.brendangregg.com/blog/2017-05-09/cpu-utilization-is-wrong.html
この記事は、昔読んだら意味がよくわからなかったんだが、今読んだらわかった。
この記事が主張している点は以下だ。
何故メモリアクセス待ちの時間が多く含まれてしまうかというと、CPUが進化したことによるものらしい。昔はプロセッサの性能が今ほど良くなく、キャッシュの階層も少ないし容量も小さかったため、メモリを待つ時間というのは微々たるものだった。これがCPUの進化により変わったということらしい。
一方、これは現代の多くのプログラ厶には当てはまらない話だ。なぜかというと、現代の多くのアプリケーションはWebをはじめとした(クライアント・サーバシステムやデータベースも含めた)分散システムとして動くので、基本的にネットワークIOが支配的になる。またプログラミング言語がより高級になってきているので、キャッシュメモリのチューニングと言われても多くのプログラムでは特にできることはない。こういった話は暗号に関する処理やヘビーな機械学習など一部のワークロードに限られるだろう。
そもそも現代はパブリッククラウドやコンテナ、サーバレスのせいで、Linuxのリソース管理は過度に抽象化され意味不明になりがちである。物理サーバにSSHしてロードアベレージを見るのが一番わかりやすくて良い。コンテナを辞めよう。
キャディバッグの購入を試みているのだが、基本的にかなり厳しいデザインのものしかない。
ゴルフは基本的にかなりブランド志向で、現代の消費トレンドと逆行していると言って良いと思う。
キャディバッグに限らず、ゴルフは基本的に大体のものがデザインが厳しいので、基本的には廃れていくスポーツだと思われる。逆に言えばここはビジネスチャンスがありそう。
ただ、じゃあ何故打ちっぱなしは人が絶えないかと言うと、ゴルフがスポーツとして単純に面白いからだと思う。ゴルフはスポーツとしての設計が秀逸。
ニンテンドースイッチの「世界のアソビ大全51」というゲームを今さら買った。 5五将棋というシンプル将棋がめちゃくちゃ面白いのだが負けまくっている。 あとはこいこいばかりやっている。なんか一日ゲームしてしまった、、
ゴルフの練習からの銭湯に行った。銭湯では岩盤浴もやってしまった。
漫画コーナーで前から読んでみたかった「ドラゴンヘッド」を7巻まで読んだ。富士山の噴火などによる大災害で日本の地形が変わってしまい、都市機能が完全に麻痺した世界を生き抜く話。災害というよりも、極限状態に晒された人間はどうなるのか?を実験的に描いている印象。けっこう面白かった。
白井智之の「おやすみ人面瘡」を読んだ。これまで読んだ白井智之の中では、伏線や設定の数が一番多い印象でかなり難解だった。
本読んでたら「久闊を叙する」という言葉を知った。使うチャンスを伺っておきたい。
11ぴきのねこのポットを買ってしまった。 これはやかんではないので火にはかけられない。仕事中につい水を飲むのを忘れることが多いので、これに水と氷を入れておいて近くに置いておけば飲むだろうという魂胆である。
こういうラグも買ってしまった。11ぴきのねこがコロッケを作って、あほうどりがそれを食べているシーンだ。
よく見ると、ねこは全員かなりダルそうにしているところが気に入っている。
千葉県には潮の湯と呼ばれる源泉がある。これは千葉県内で湯温が46.1度で1位、湯量は6位らしい。潮の湯はもともと海水だったので、海水由来の塩味がある。泉質はナトリウム-塩化物強塩温泉(高張性弱アルカリ性温泉)で、体を温める効果がある。
今日も金曜日のお楽しみの銭湯に行ったのだが、普段と行く場所を変えてみた。今日行ったのは大人平日入浴料1500円で、普段行っているところのほぼ倍の料金がかかる。しかし、フェイスタオルやバスタオル、館内着が無料で貸し出されるほか、岩盤浴やロウリュも無料で入れるので、単純な料金比較は困難ではある。
行った結果、今後はたぶんずっと、今日行った高い方に行くと思う。ここは潮の湯を使った天然温泉だ。良かった点:
今後はここに通って、「ぬ~べ~」や「ブリーチ」、「チェンソーマン」などを読破したい。
車であいみょんの新しいアルバムを聞いていたのだが、「ラッキーカラー」という歌がすごく良かった。
お昼ごはんを外で買おうということになり、近所のマクドナルドに行った。月見的なものが始まっていたので、チーズ月見バーガーを買ってみた。 マックの月見バーガーは、目玉焼きが入ってるのを月に見立てて月見なんだと思うが、目玉焼きが入ってるメニューで通年販売のものは別にあるし、意味分かんないなと以前から思っている。意味分かんないなと思いつつ久しぶりに食べたが、やっぱり月見の優位性は特にない気がする。あのソースは独特だけど、そこまでおいしいわけでもないと思う。
私はマクドナルドに行くと、ポテト無しでダブルチーズバーガーとフィレオフィッシュを頼むことがほとんどだ。ポテトは食べたあとつらくなる。
仕事で恵比寿に行っていた。駐車場を事前に何か所か調べておいたのだがかなり苦戦した。結局恵比寿ネオナートの駐車場に駐車できた。
恵比寿ネオナートの駐車場は30分440円なので、例えば2時間止めると1760円だ。ただし24時間の最大料金が2900円と設定されている。今回は昼過ぎに着いて夜までいたので、最大料金がなければ6160円になる。最大料金があって助かる。
ただし、ネオナートの駐車場は恵比寿では安いほうだ。近隣のタイムズは10分140円とか20分330円とかで、最大料金も3、4時間程度で設定されることが多い。
タイムズ恵比寿南三丁目という駐車場は10分220円で、最大料金なしという上級者向けの設定だ。ここにもし停めてたら駐車料金は9000円を超える。 仮にここに1ヶ月間停め続けると95万を超えるので、家賃より余裕で高い。そう考えると、家は住めるし、風呂とかも入れるので安いな、と思った。
私の妻は韓国語の勉強をしているのだが、ChatGPTの音声会話機能で会話の練習ができるのではないかと思い、調べたところちょうどよいGPTsがあったので試しにやってみた。ちゃんと会話できるのでけっこう有用らしい。
前にChatGPTが出始めの頃に妻に話したら、何がすごいのか全くピンときてない様子だったが、具体的にできることを教えるとわかりやすいようだった。
今日も打ちっぱなしに行ってしまった。ショットが安定してきた感覚がある。うまくなったというより、クラブを握って振り回すという行為に体が適応してきた感じだ。ボールが飛ぶようになると、今度はまっすぐ飛んでるかとか飛距離が出るかなどが気になってくる。
白井智之の「人間の顔は食べづらい」を読んだ。
これはとてつもなく面白かった。今年読んだ本で今のところ一番かもしれない。 謎解きの難易度がかなり高く、犯人が普通にさっぱりわからないのだが、理詰めで犯人を導きながら多重解決に繋げるのはさすがの白井智之という感じだった。
またチャー坊というキャラがとても魅力的だった。「ございやす」口調なのがかなりふざけていて良い。チャー坊の推理シーンのカタルシスはすごかった。
後、昨日海老名サービスエリアで買った「インカのめざめ」を使ったポテトチップスが美味かった。インカのめざめは最高。
車で熱海に来た。これはみるちーずとかいう店。 千葉からだと伊豆は遠い。
道の駅伊東マリンタウンで浜焼きを食べた。
熱海は古さ由来の独特の魅力がある。懐が深い街という気がする。
本を読んでいたら「車軸を流す」という言葉が出てきたのだが、知らない言葉だったので調べた。大雨を意味しているらしいのだが、走れメロスの中でこの言葉が出てきたらしい。記憶になかった。
今日もゴルフの練習。素振りしまくった。手が筋肉痛。
近所でお祭りやってたので行ってみた。このお祭りは公園とか神社でなく、ららぽーとの目の前で開催される。ららぽーとは駅のすぐ近くにあるのだが、駅のロータリー部分を封鎖して、そこに出店などを並べて歩行者天国にしていた。駅そばだからアクセスも良いし、疲れたりトイレ行きたくなったらすぐにららぽーとに入れるので、快適性が高かった。
こういうのもやってた。このあとブラスバンドとかサンバとかやってたりして、全体的に盛り上がることを詰め込んでおり、企画力の高い人間の存在をうっすら感じた。
P790を試しに打ちっぱなしに行った。 シャフトが重いせいかすごく疲れる。
野球で最も重要な練習の一つが素振りなのは、素振りは握力やリストの強さ、下半身の強さなどといった、そもそも練習をするために必要な筋肉と基礎体力を養えるからだ。素振りができないやつは練習に参加しても体力がないので意味がない。 ゴルフも同じで、重い鉄の棒を振り回すための基本的な筋肉や握力がないと、いくらフォームだけきれいにしても手元がぶれてしまい、スイングの再現性を作れない。ゴルフの場合は止まっているボールを打つので、たまにまぐれでいいショットになることはあるだろうけど、むしろそれで上手くなってると勘違いするのは危険だ。
という考えで素振りばっかした。素振りは無料(打ちっぱなしは1球ごとに金がかかる)なのでコスパ最高。
「汚れた聖地巡礼について」読み終わった。 やっぱ三津田信三の忌み家シリーズっぽいなと思った。ホラーというよりミステリーかな。怖さは確実に「近畿地方」のほうが上だった。
https://foodistnote.recipe-blog.jp/article/96137/
こういう感じの料理を作って食べた。柿とクリームチーズ美味しかった。柿はあまり人気ではないが、私は好きだ。
「口に関するアンケート」を読んだ。 https://www.amazon.co.jp/dp/4591182258
「穢れた聖地巡礼について」を数日前にAmazonで予約したときに、同じ日に同じ作者のこの本が出るのを発見した。
この本、調べても告知や宣伝が一切なかった。Amazonや書店、出版社のサイトにも内容についての記載が全くない。不穏だったので買うことにした。
価格がやたら安いのだが、届いた本はメモ帳のようなサイズで、20分くらいで読めた。内容はしっかり目のホラーだが、画像とかびっくりはない。 構成が凝っていて、今風っぽいホラーだなと思った。
昨日届いた「穢れた聖地巡礼について」も今読んでる。しっかり怖くて良い。「近畿地方」に似てる部分もあるのだが、三津田信三の「忌み家」シリーズのように、エピソードと本編が交互に展開される構成になっている部分は少し違う。 この構成だとストーリーがしっかりつけられる一方で、「近畿地方」のような不気味さは感じにくくなっているなと感じた。だからつまらないとかではなく、より小説らしくなっている。「近畿地方」の、エピソードがひたすら展開されるフォーマットは現代っぽい不穏ホラーとして秀逸だった一方で、「忌み家」シリーズのように、怖いエピソードを展開していくにつれて主人公もおかしくなっていく系も物語として面白い。
アイアンセットを購入してしまった。 2023 P790。シャフトはDynamic Gold EX TOUR ISSUE。シャフトがかなり重くパワータイプのゴルファー向けだ。 正直詳しい人に進めてもらったのを買っただけではある。早く届いてほしい。練習したい。
歌野晶午の「長い家の殺人」を読んだ。歌野晶午のデビュー作らしい。 正統派ミステリーで良かった。トリックもシンプルながら効果的で良い。
この本は島田荘司が絶賛したらしいのだが、島田荘司が書いたあとがきが面白かった。 歌野晶午は突然島田荘司の家を訪れて、筆記用具や原稿用紙など、小説の書き方を教わりにきた。島田荘司は訝しみながらも教えたが、この時点でまだ歌野晶午は小説を全く書いたことがなかったらしい。 また、最初に半分程度書いたミステリーを島田荘司に見せたところ、島田荘司はトリックが分かってしまったらしいのだが、その時歌野晶午は、トリックがバレたことがおそらく悔しくて泣いたらしい。シンプルな変な人という感じでよい話だ。
打ちっぱなしにやってきた。人生初打ちっぱなしデビュー。
「ゴルフはスポーツとしてめちゃくちゃ秀逸」というのを聞いたことがあり、前から興味があった。詳しい人に連れて行ってもらえる機会があり行ってきた。
やってみた感想として、ゴルフはヘッドスピード(というより、ヘッドがボールに与える初速)と、ボールに対するヘッドの上手い当て方のトレードオフをコントロールするスポーツだと思った。力いっぱいクラブを振り回すとヘッドスピードがあがるのだが、ボールに当たらなくなる。ゴルフボールは情けないほど小さい。ボールに最適な角度で、最適なヘッド位置で当てようと思うとどうしてもクラブを思いっきり振れなくなる。
つまり体力とパワーが重要だ。重いクラブを力いっぱい振りながら、ボールにちゃんと当てるには、前提となる体の強さや筋肉が必要。この練習を長時間こなすには体力が不可欠となる。
さつまいものアップルパイ。私はアップルパイが好きだ。アップルパイはあまり人気がないが、実はポテンシャルが高い。
となりのヤングジャンプというWebサイトで、ワンパンマンが全話無料で読めることを知った!これで銭湯でわざわざ読む必要はなくなった。 なので早速今日から読み始め、先程全話読み終わった。247話あったようだ。
ワンパンマンはギャグバトル漫画という感じで、笑えるシーンが多いながらバトル漫画としての王道がふんだんに盛り込まれている印象。サイタマは強くなりすぎているという設定だが、単にそれがギャグではなく今後彼自身が成長・変化しそうな感じがあって良い。普通強すぎるキャラクターはそいつだけ戦わせればいいじゃんみたいな空気になってしまいがちだが、ワンパンマンはあらゆる壮大な戦闘シーンがサイタマが出てくるまでの前振りとして機能しており、サイタマがいざ戦い始めたときのカタルシスがすごい。そこを楽しむ漫画だと思う。 後はやっぱりキングがいいな。キングの今後は楽しみだ。
あと、なんか絵が異常に上手い気がする。書き込まれた絵と雑な絵の使い分けが絶妙だし、人の動きもわかりやすい。
私は大抵の漫画を1冊ちょうど10分くらいで読み終えることができる。ワンパンマンは31巻出ており、310分で読み終わる予定だったが、ワンパンマンもほぼその時間で読み切ることができた。
昨日の話。
今台風10号が西日本にちょうど着弾しているのだが、それはそうと飲み会の予定があった。前の会社の人達との飲み会。 台風は関東地方には来ていないのだが、湿った空気の影響でこの日は飲み会会場である、私の家付近の店のあたりは朝から大雨だった。
ちなみに何故会場が都内とかではなく私の家のあたり(都心から電車で1時間以上)かというと、前回同じ感じの飲み会があったときに私がゴネたためだ。このメンバーの飲み会は私が前の会社を辞めると決まったあたりに発足したのだが、その日がホワイトデーで妻にチョコをあげないといけない私は都内での飲み会を避けたかった。そこでゴネたらみんなが私の家の方まで来てくれることになったのだ。なんていいやつらなんだと感動した。
で、昨日その飲み会の予定があったのだが、朝から大雨が降っていた。しかもニュースによれば、神奈川や都内では道が冠水していたりしたらしい(私の家は千葉)。 私はこの日もともと仕事を休みにしていて、適当に過ごしつつ髪を切る予定があった。髪を切ったあとに飲み会に行くつもりだったのだが、この雨では都内から人を集めるのは厳しいのではと感じ始めていた。
仮に台風の影響で道の冠水が千葉でも発生したりすると、電車が止まることが予想されるし、車も走れなくなるだろう。その状況は極めて危険だ。冷静に考えると、飲み会会場の駅がある路線はつくばエクスプレスといって、首都高みたいに上空を走る電車なので、道路が冠水してもあまり関係ないのだが、停電リスク等もある。
このことから、私は当日の朝、大雨が降る外を窓越しに見ながら飲み会の延期を提案した。この案はすぐに受け入れられ飲み会は翌週以降に延期となった。
これが判断ミスだった。
雨は昼くらいに止んだのだ。 髪を切る予定が14時だったのだが、12時くらいにふと家の中から外を見たところ、あれ止んでるな?と思った。
まあでも台風のときとかって雨が強まったり弱まったりするし、そのうちまた降るだろう、、と思いつつ髪を切りに行った。 髪を切っている間も外を見ていたが、雨は完全に止んでいた。不思議なこともあるものだ。人間は自然には勝てないのだと感じた。
いやーこれ飲み会やれたな、と思いつつ、まあもう中止になったしなと思って、銭湯に行った。何度か書いてるが、私は金曜には銭湯に行くことをルーティーンにしている。
金曜に仕事が終わったあとに銭湯に行く人生。これはかなり理想に近い。しかも昨日で、ポイントカードが20ポイントたまり、次回1回無料で入れることになった。
銭湯の露天風呂に入りながら、飲み会やれたな、と思った。まあでももう中止になっちゃったし、今日は銭湯でゆっくりして、夜も家で、最近フジテレビオンデマンドで見ている「放送禁止」か、昔の「世にも奇妙な物語」でも見てのんびりしよう、、と思った。
私が行く銭湯は、風呂とは別に2階にリラックススペースみたいなのがある。そこには漫画が結構いっぱいあって、一人がけのソファ的な椅子に寝っ転がってどれても読めるようになっている。風呂を出た私は「ワンパンマン」を手に取り読み始めた。
ちなみに私の妻はここで「テラフォーマーズ」を読んでいるらしい。
ワンパンマンを読んでいたらスマホの通知が鳴り響いた。
なんと飲み会をやっぱりやるという。
私は目を疑った。
だってもう中止になったし、髪切って銭湯に入って、寝っ転がってワンパンマンも読み始めてしまっている。こうなったらもう普通その日は店じまいの道理である。「放送禁止」も見たいし。
しかもこの飲み会は焼肉屋でやるのだ。
焼肉屋に行く前に銭湯にいくバカはいないだろ、と思いながら、私は本当に申し訳ないいう気持ちでLINEに気づかなかったふりをすることにした。たぶんこれは看破されていたようで電話まで来た(出なかった)。
とりあえず飲み会までは時間があるし、ワンパンマンを6巻まで読み、帰ることにした。
ワンパンマンはギャグバトルアクションという感じで面白かった。バトル漫画として定番の、あるあるな展開が多く散りばめられつつ、最後はサイタマがワンパンで倒してくれるカタルシスが心地良い。キャラクターの個性がどれもとても良く、今後も通って続きを読みたいと思った。
さて、家に帰った時点で飲み会の7時位になった。 妻には「飲み会は中止になった」と伝え、家で食事をし、歯磨きを済ませた。
まだLINEが来ている。
こいつらマジでやってんのか、、と思いながらLINEを開く。 妻に相談したところ、せっかくこっちまで来てくれてるんだし行ってきなよ、とのこと。 ここで45分程度葛藤した。いやーもう歯磨きもしちゃってるしな。でもここでマジで行かなかったらさすがに悪いな。せっかく都内から来てくれている人もいるし。あと書き忘れていたが、この飲み会は本当は先週の予定だったので、もう一回リスケはさすがにダレるし、そもそももう本当に家の近くでやってるわけだし、、
私は行くことにした。
行ったら楽しかった。私は普段リモートワークしてるのでこういう場は楽しい。ひとり結婚してるやつまでいた。めでたい話はいいものだ。
ここから今日の話。
レタンプリュスでいちじくのケーキを買って食べた。いちじくは美味い。
ワンパンマンの続きを読むために銭湯に行ってしまったが、4冊読んだところで続きが誰かに取られており帰宅。近くの女の人が読んでいた。すぐに読まないのに数冊確保するのはやめてほしい。私が行ってる銭湯は若干安いせいか、変な人が多い気がするので、今後は近くの少し高い銭湯に切り替えるか検討している。
仕事を休みにして髪を切りに行った。Googleマップを眺めていたら偶然発見した男性専用のバーバーに初めて行ってみたところ非常に良かった。 室内が線香的ないい香りがした。店内は広めのワンルームのような感じだが、そもそも客は同時に入れるのが一人までらしい。 髪を切るときに、頭の形はこうで、髪質はこの部分がこう、髪の長さはこの部分がこう、なので結果的にこう見えてしまう、でも最終的にはこうなっていてほしいので、ここをこう切ります、みたいな感じだった。論理性があっていいな、と思った。
日記書き忘れて翌日の夜に書いてる。こういうこともある。
台風10号が九州の上でのんびりしてるらしい。西日本は雨でかなりやばいことになっているようだ。 貴志祐介の「悪の教典」を途中まで読んだのだが、あまり合わず辞めた。学園ものがそもそも私はあまり楽しめないかもしれない。 貴志祐介の「黒い家」が本当に好きで、あれを読んでいたときの体験は唯一無二だったと思う。黒い家はヒトコワ系のホラーだが、小説では怪異の存在を想像させるのが難しいので、ヒトコワ系のほうが恐怖感を与えやすい。その点も含め、黒い家は本当に怖かった。 黒い家と同じくらいハマれる小説を求めて貴志祐介の作品をたまに読むのだが、まだ出会えてない感がある。出会いたい。
白井智之の「お前の彼女は二階で茹で死に」を読んだ。すごいタイトル。 最近白井智之にハマってる。エレファントヘッド、名探偵のいけにえに続いて3作品目を読み終わった。感想は特にないというか、カオスな設定と本格ミステリというのを軸にしてとにかく面白い、というありきたりなものになってしまう。マホマホがけっこう好きだったので死んだのは残念だった。
白井智之の本は文学的というよりも、単純に面白いというか、エンターテインメント性が高いのが良い。
巨峰を買ってきて食べた。 ぶどうは地味に種類が色々あるが、一番良く食べるのは巨峰かもしれない。シャインマスカットやナガノパープルは確かにうまいのだが、正直高すぎると感じる。あの価格に見合っているかというとなんともいえない。巨峰やデラウェアも十分うまいし。シャインマスカットは完全にブランド化に成功したのであの値付けは理解できるのだが、ナガノパープルは値付けの根拠がよくわからない。たぶんシャインマスカットと同じく、甘くて皮ごと食べられるから同一価格帯に設定してると思うのだが、その前にブランド形成が先だろう。 最近、物が売れるかどうかはほぼブランディングで決まるのではないか?と考えている。何にお金を使うかは自己表現であり、その買ったものを通して人間は自分がどういう人間なのかをラベリングしている。
白井智之の「名探偵のいけにえ」を読んだ。大満足。 正統派の多重解決ものだが、怒涛の伏線回収が素晴らしく読んでいて気持ちがいい。多重解決であることを目的とせず、多重解決でなければ到達できない結末に至っていた印象ですごく良かった。 まあまあの叙述トリックもあるのだが、多重解決の方が目立つので割とサラッとしているがそこもすごく面白かった。
なぞの足首の痛みがあり今日は走るのを休んだ。たまには休んでいい。
土曜だけど1日仕事してた。 私は人が休んでるときに働くのが好きだ。人が働いてるときに休むのも好きだ。平日休みのほうが普通にいいよな。 夜に「てんや」に行く。てんやはいろいろな天丼があるけど、普通の一番安いスタンダード天丼が一番美味い。天ぷらのラインナップが安定している。私は海老天にあまり価値を感じなくて、イカやかぼちゃの天ぷらが好きだからスタンダード天丼が一番いい。
「世界で一番透き通った物語」を読んだ。 これはたしかにすごい。前評判で相当ハードルが上がってたけど、超えてきた。これはすごいわ。 宮内彰吾が人を殺しかけた話というのは、主人公の堕胎に関するものだろうというのは割と予想がついたのだが、主人公の目に関することなどは、ヒントは散りばめられつつも最後までわからなかった。紙の本でしかこれはできないということから、ヨギガンジーシリーズ的な展開を予想していたのだがさらにすごかった感じ。 また、このギミックがちゃんと物語的に意味があるところも良かった。
妻が少し前に受けたある資格試験の合格発表の日だった。ギリギリだが受かっていたらしい。めでたすぎる。 めでたいのでコージーコーナーのケーキとビアードパパのシュークリームを買ってきて祝った。 ビアードパパの店の前の独特の匂いってあると思うのだが、私はあれが昔からかなり苦手だ。頭痛がしてくる。シュークリームは美味いんだけど。
「テスカトリポカ」を読み終わった。面白かった。 これはただのクライムノベルではないと感じた。 生贄から心臓を取り出し、アステカの神に捧げるという神聖な行為と、無戸籍児童から心臓を摘出し海外に売るという残虐な行為が、コシモという人物の上で重なり合うところに文学的な面白さがある。 この本は本当にやたら長いが、これら二つの行為について、そしてその当事者であるバルミロ、末永、コシモをここまで丁寧に説明しないことには、この本はただのバイオレンスな話で終わる。 あと昨日も書いたが、文章がとても読みやすい。こういう文章を書きたいものだ。
ここまで書いてPCが再起動してしまったので今書き直している。リセットボタンを押してしまっただけで不具合ではない。
「テスカトリポカ」を読んでいる。長いからかやたら疲れる小説。 文章がなんか異常に読みやすいと感じた。こういうふうに感じる本がたまにあるけど、何が共通しているのかあまりまだ言語化できていない。 たぶん文が短くて簡潔なことがかなり重要なのではないかと思う。
呪術廻戦の連載が終わるらしい。死滅回遊あたりから、本当に話の意味が全くわからなくなってしまったので読まなくなったが、意外とあっさり終わるんだな、、という感じ。作者の自己主張が強いのもしんどかった。途中まではめちゃくちゃおもしろかった。
フライングガーデンで食べたハンバーグ。食べたのは昨日。
最近文芸誌、小説誌と呼ばれる雑誌に興味があり、今度本屋で買ってみようと思っている。本を読む以外にあまりやることがない。
「深淵のテレパス」を読んだ。面白かった。すごく綺麗にまとまっていた感じ。 「あしや超常現象調査」の二人組と、その仲間二人のキャラクターがとても良く、この人達が出てくるシリーズ物でもっと読みたいと思った。 直接的なホラーのシーンは少なかったが、一箇所とても怖いところがあったのも良かった。
以前から思っていたが、小説で読者を怖がらせるのって、映像で怖がらせるのよりも数段難しいだろうな、と思う。読み手としても想像力を鋭敏にしておかないといけない。
久しぶりに映画館に行った。「あのコはだぁれ?」というホラー映画を見た。 めちゃくちゃ怖く、めちゃくちゃ面白かった。傑作だと思う。 高谷さな自体よりも、その家族の方が怖かった。家族のシーンはマジで全体的に怖すぎる。 清水崇監督のホラー映画は、全体的にちゃんとストーリーがあるというか、起承転結があるのがいいと思う。最近は明らかにホラーブームだけど、どちらかというとただ単に気味が悪くて終わりで、その気持ち悪さ自体を怖がる(ことを楽しむ)、というのが多い。私はそれはそれで好きだが、起承転結とオチがあるホラーも良いなと思った。 前作とされる「ミンナノウタ」は見ていなかったんだが楽しめた。これからミンナノウタも見ようと思う。
「をんごく」を読み終わった。横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞したらしい。こちらもかなり面白かった。怖さはそうでもないのだが、関西弁の会話が小気味よいことと、エリマキのキャラクターが最高で、これだけで凄く楽しめる。この本は末尾に選考委員のコメントがあるのだが、誰かが序盤の、主人公と倭子の背景を説明するシーンを褒めていたのが印象的だった。というのは、私もほぼ同じ感想を持ったからだった。あのシーンはなんか異常に読みやすくてよかった。
台風7号の日。
今更ながら「三体」を読み終わった。これ、面白すぎるし、作者の科学的知識の幅広さに感服した。 ゴーストカウントダウンや、三体のゲーム内容、2つの陽子まで、どれもちゃんと意味があってしっかり回収されるのが読んでいて気持ちいい。 あと、史強がただの嫌な警官かと思っていたらだんだん頼りになることがわかってきて、ラストのバッタの件でとてもかっこいいと感じられるようになる。こういう感じで純粋なエンタメ小説としても見事だった。 三体世界の量子のあたりは正直良く理解できなかったので、量子力を高めてもう一度読み直したい。 2も絶対読むと思う。
今日もダッシュした。色々調べたら、私がやってるトレーニングはHIITトレーニングと言ってもよさそうだった。解説によれば8本程度走れば良いとのことだが、今日は10本走ったし、最終的には30本程度走れるようになるのが目標。
ネットで購入しただだちゃ豆が届いたので茹でた。少し食べてみたが、茹で終わって粗熱が取れてからのほうが甘みを感じやすい気がした。たしかにうまい。価格もそんなに高くなく良い。
日記書くの忘れてた。 夕方に近くの公園でダッシュした。端から端までおよそ100メートルあるのだが、ストップウォッチをスタートし、全力で向こうまで走り、ストップウォッチが1分00秒になったら全力で戻って来る、2分00秒になったらまた全力で向こうに走る、、というのを繰り返すスポーツをしている。ゆっくり走ると次に走り始めるまでの時間が短くなるようになっている。 最初は余裕なのだが、5本目くらいからきつくなってくる。これを30本くらいできるようになるのが今の目標。 心拍数がかなり上げられるし、体力を削れるので入眠もしやすくなる。おすすめの運動。
最近履いてるパンツ(下着の方)がボロになってきたので買い替えたりしたのだが、思わず迷走することになった。 以前はユニクロのニットトランクスのXLを履いていたのだが、これには二点の課題感があった。
上記を踏まえ、まずユニクロのエアリズムボクサーパンツのLを購入した。
これは駄目だった。いきなりボクサーに、しかもワンサイズ落としたことで締め付けの違和感が強く、常にパンツ周りが気になるようになってしまった(しかも因果関係は不明だが、このときなぜか軽い風邪も引いた)。
一方、エアリズムの生地感は気に入った。これを踏まえて、次に選んだのはユニクロのエアリズムトランクスのXLを購入した。
これも駄目だった。これはゆるすぎるし、丈が膝上くらいまで、軽い短パンのようになってしまった。ウエストはゴムなので辛うじて問題ないものの、ボクサーが試合中に履いているやつパンツ(ボクサーパンツではない)みたいになってしまった。これは、その上からズボンを履いたときに生地がだぶついて着心地が悪くなる。 ニットトランクスとエアリズムトランクスは、丈が明確に異なっており、エアリズムトランクスは丈がやたら長い。ニットトランクスはずっと履いていて特に違和感がなかったので油断した。
結局今日、ボクサーパンツのXLを買ってきたのだが、これでパンツ探しは終了でよさそうだ。ほどよい締付けで、スポーツもしやすそうだが、ゆるすぎず、ズボンを履いたときの着心地も良い。
羽生パーキングエリア(上り)で食べたうどん。
羽生パーキングエリア(上り)は、建物の外装や内装が江戸時代みたいになっていることで有名な施設だ。初めて行ったけどけっこう面白かった。一度行けばいい感はある。
都内の方は渋滞がひどすぎてだめだな。最近、前は好きでよく行ってたけど、もうここは来たくなくなってしまった、という場所が増えてきた。30代になってからこういう、過去の価値観が大きく変化することが多い。
新しくできたはま寿司行ったら、仮想的な回転寿司があった。これは常に右から左に動いていて、触って注文ができる。また、スワイプすることで早送りや巻き戻しができる。 なんとなく面白くてしばらく触ったが、結局ほぼ普通のタブレットから注文した。慣れていなかっただけではある。
本当に回転する回転寿司では、わざと寿司の並び順をランダムにするようにして、客を飽きさせないようにする、というのを聞いたことがある。この仮想回転寿司にはその機能はないようで、タブレットと同じ順番で寿司が流れているようだ。 うまいなと思ったのは、この画面では対象の寿司の価格が分からないようになっている。寿司を選択して注文確認に遷移すればわかるのだが、この時点ではわからない。
果物かごが満杯。 スーパーで1300円くらいでナガノパープルが売ってたので救出してきた。 桃は4個で1000円しないくらい。今年はハーコットをまだ1回しか見てない。
昼にこれまで行ったことのなかったラーメン屋に行った。かなりうまかったが、また行くかというとわからない。日高屋の創業者が、飽きないように美味くしすぎないと言ってるみたいな感じで、上手いんだけどたまにでいいな、という感じのラーメンだった。飲食店経営は大変だなと思う。
うまいうどん屋のうどん。
最近スマホからブラウザやYouTubeなどのアプリを全て削除したところ、スマホを見る時間がかなり減った。Pixel7は、設定画面からアプリを無効にすることで、プリインストールのアプリも非表示にできる。
ブラウザがないと困るのではないかと思っていたが、あんまり困らないことに気付いた。この日記はGitHubのアプリから書いている。 ただ、この生活はリモートワークでいつでもパソコンが使える前提で成り立っている部分はある。
スマホ中毒という言葉があるし、実際スマホに触ると脳が喜ぶのだとは思うが、仕方ないよなとも思う。別にスマホに依存しているのではなく情報に依存しているのであって、そして人間が情報に依存するのは当たり前だろうから、深刻に考えなくてよいのではというのが私の考えだ。SNSとかはやらないほうがいいと思うか。
「星降り山荘の殺人」を読んだ。面白くて一気読みした。 星園が犯人なことは、早い段階から予想がついた。他に犯人らしい人があまりにもいなさすぎるし、自分の目標を話すくだりも明らかに不審だった。冤罪を晴らす目標の話は、殺人事件の動機に関係するのだろう(冤罪事件とヤマカンムリが関係しているのだろう)と思っていたけど、そうではなかったことにむしろ驚いた。 色々と不可解なのだが、星園が犯人と決めつけて読むと一つ一つに意味があるようになっており見事だった。 クローズドサークルの王道として良かった。麻子も魅力的で良い。
「進化しすぎた脳」を読んだ。 世界があって、世界を見るために目があるのではなく、目で見たものが脳の中で世界になるだけ、という部分が印象的だった。たしかにそうだな、という感覚。 視神経は10000本程度しかなく、脳が大きく補正してるという話も面白くて、視覚についての興味が湧く本だった。
スキンケアに何を使うかが定まらなくて困っている。 私は肌が弱く、所謂レチビタ系はヒリヒリしやすく、また赤みが出やすい。 最近は無印のクリアケアという青いやつを試したが、これもやや赤みが出た。無印だと敏感肌用さっぱりタイプは合っている気がする。
ハトムギの化粧水は合っていそうだが、ジェルは赤みが出る気がする。
今のところ良いのは、ピュレアの青シートマスクと、無印の敏感肌用さっぱりタイプ乳液の組み合わせだ。これが赤みも出ず、しっくりくる感じがする。ピュレアの黄色も試したが、やや刺激を感じた。
ピュレアの青はかなり気に入っている。あの美容液ネトネト具合が気持ちいい。香りもいいと思う。
そして美容液やクリームはつけない。これは単に面倒だからだ。たぶんピュレアにいい感じの成分は入っている。ベタつくのは嫌なので、無印の敏感肌用さっぱりタイプはちょうどよい。
そもそも、肌にとって最も重要なのは睡眠、食事、運動だと思う。肌に何を塗るかでそこまで変わるイメージがあまりない。多少変わる気もするが、睡眠運動食事のほうがはるかに大事というイメージだ。科学的根拠はないが。
スキンケアはもっと科学の力でパーソナライズされるべきだと思う。未だに買って試してみて、試してもいいのかどうかよくわからないという状況は変わるべきだ。
誕生日を祝ってもらった!
凄いことになっているご飯。
甘いものを控えているのでケーキはなし。欲しいものがないから、物は一切要らないと伝えたためプレゼントもなし。良い誕生日だった。
今年はディープラーニングとビジネスにおいて成長したい。あとは神経科学の本をたくさん読む。
「湖の女たち」を途中まで読んだ。微妙だった。ミステリーかと思って読んだのが良くなかった。 事件自体は面白くなりそうな感じがある。介護施設で100歳の老人が死んだのだが、人工呼吸器のアラームを誰も聞いていない。かといって、故障ではないという。死んだ被害者は過去に医療事故に関係していた。 この話のミステリー部分が見たかったのだが、かなり多くの部分がわけのわからない恋愛描写に割かれており、不快だった。何がしたいのか不明という感想で、最後まで読めなかった。残念。
たぶんこの話は恋愛とか人を描くのが主で、ミステリー部分は副なのだと思われる。
私は恋愛小説とか恋愛映画とかを楽しむことができない。知らんやつの恋愛に興味が持てないし、何故かだんだん不快になってくる。そんなことを、車でTOKYO FMから流れるサザンの「みんなのうた」を聞きながら思った日。
「ゆうずどの結末」を読んだ。けっこう面白かった。 「ゆうずど」という怪異の話。基本逃れることはできないタイプ。四章まであるのだが、それぞれ叙述的になっていたり、ギミックが色々あって面白かった。話もシンプルで、もっと売れてもよさそうな感じ。最終章もいい感じだ。
「利己的な遺伝子 利他的な脳」を読んだ。 大体こういう話だ↓
人間は自己複製を目的として生きているが、そうであれば自身を犠牲にして他者を利する行動の説明がつかない。例えば、9.11のテロのとき、他人の救助を試みて自分の命を落とした人が多く存在した。 これまで、「利己的遺伝子説」「血縁選択理論」「集団選択理論」などいくつかの進化論的な理屈でこの行動は説明されてきた。が、これらはどれも「利他的な行動をとっているようにみえるが、その実はその行動が結局自分の利をもたらす」と説明できる。例えば自分の兄弟は自分と似たDNAを多く持っているから、彼が死なないよう手助けすることで、自分のDNAの拡散に役立つ、というような。
この本は、これらの利他的な行動のメカニズムを神経科学の視点から論ずる本である。 進化論的な理屈付けではなく、利他的行動の際の脳や神経の動きを観察した結果から、「利他的行動は脳の仕組みとして備わっている」ことを提起しその根拠を示している。
本書では下記のステップで、人間の脳は利他的行動を起こしてよいと判断するとある。
人間はなんの見返りもなくても利他的行動が実行できる。それは宗教的、社会的なバックグラウンドなしに、脳の仕組みとしてそうなっている。という話。面白かった。
https://gigazine.net/news/20240801-robot-dentist-human-treatment/
歯科治療ロボットができたらしい。 直感的にはかなり怖い。なんかミスって口の中で変なところ触っちゃったらなど、、 でも、口内の正確な3Dスキャンがあって、どの部分をどれだけ削るとかの計画が正しければ、それを実行するロボット自体を作ることはできそうだ。人間の口は常に動くだろうけどそこは大丈夫なのか。
最近食べて美味しかったもの。
イシイのミートボール。
くばらのあごだしつゆで作る卵かけご飯。
星乃珈琲店のバニラスフレ。
このジェノベーゼ。
最近美味い食べ物ばかり食べててすごい。
パスワード管理をGoogleアカウントの機能に任せている。パスワード管理をするメリットは、自動生成や自動入力というよりも、自分が持っているサービスのアカウントを管理できることだと思う。 私は使ってないアカウントを削除するのが趣味で、今パスワードマネージャには22アカウントしか入ってない。これは一般的に少ないほうだと思っている。 ここから減らすのがけっこう難しい。ネットバンクやクレジットカード、アマゾンなどかなり必要性の高いアカウントしかもう残ってない。 ニンテンドーやソニーのアカウントも消せてない。これらは、ゲームをダウンロード購入してしまっているため、アカウントを消すとそれらも消えてしまうのだ。最近ゲームはほとんどやらないので消しても大して支障はないんだけど、もったいないような気もする。最近はこの状態になってしまっているのを嫌って、Kindleでなるべく本を買わず紙で買うようにしている。
ちなみに、パスキーは一つも作ってないし、たぶん今後も作ることはない。プラットフォームにロックインされるのが嫌なのだ。本当はパスワード管理もスプレッドシートとか、紙とか、GNU passとかに移行したいと思っている。今すぐやる理由がないのでやらないが。パスキーは一見便利だが、パスワードしかサポートしないサイト、パスキーしかサポートしないサイトなどが入り乱れてカオスになると予想している。余計なアカウントはつくらないのが一番。
毎日縄跳びをやっているんだが、最近さすがに暑すぎて困っている。危険を感じる暑さ。私の家の周りは高い建物がなく、日除けになるものはでかめの木しかないのだが、その近くで縄跳びをいつもしている。それにしても暑い。 家の近所に神社があり、神社は木で覆われているのでこの時期でも中がひんやりしており気持ちがいい。この神社の中で縄跳びをできればいいのだが、そんなことして良いのかと若干思っている。 まず、この神社の土地の所有者が誰なのかがわからない。一般的に神社の土地所有者は宗教法人のパターンと市区町村のパターンがあるらしい。そもそも神社というものは、そのへんの住民によって自然発生的に生まれたものだろうから、所有者の概念が曖昧になるのはわかる。 ただ、そこで縄跳びを勝手にやってていいかと言うと何とも言えない。神主的な存在はいるだろうから、その人に怒られる可能性はなくはない。神社でやる必然性も特にない(し仮にあっても向こうには無関係であろう)。
あとは普通に、神社で遊んでたら罰が当たるかもとかそういう系の懸念もある。宗教観は複雑だ。
星乃珈琲店に行った。バニラスフレ。美味くて驚いた。
フェイクドキュメンタリーやホラー動画とかにおいて、その意味をわかろうとしているような感想を見かけることがある。「意味がわからなかった」「オチは?」「これらの話が最後にどう繋がるのか楽しみ」これらの感想は全部、ストーリーになにか意味があるべきで、それを理解することが重要であるという考えに基づいている。 私は、こういう考えの人はホラーとかマジで見ないほうがいいと思う。この人たちはホラーを楽しめない。 ホラーの怖さは「未確定」なことによるストレスで、確定した瞬間に怖さは消失する。ホラーをホラーとして楽しむためには、確定していない状況を受容し続けるケイパビリティが必要で、それがないとホラーを「謎解き」「ミステリー」だと思ってしまう。これなら、ちゃんとしたミステリーとかサスペンスを観る方が良い。
まあ、そういうホラーもあるんだけどな。たとえば「it」とかは明確なストーリーと、怪異の正体が存在する。だからあまり怖くないし、基本ジャンプスケアで怖がらせる展開である。ホラーにはこの辺の細かいジャンルを区別する言葉が存在しないのもどうかなとは思う。
「サンショウウオの四十九日」を読んだ。
結合性双生児が主人公の話。結合性双生児というと、体から2本の首が生えているイメージだったのだが、この姉妹は特に分かれている箇所がなく、顔の真ん中がやや歪んだように結合しているだけで雰囲気はひとりの人間にみえるという。 この時点で割と、想像力の豊かさを試されているような感覚があった。作中では姉妹が会話したり、別々のことを考えているシーンがあるのだが、その時ってどうなってるの?みたいな。片方が話している間、もう片方はそれを聞いて認知してる?どういう状態なのかは最後までよくわからなかったが、とにかくこの二人は別々の意識や思考を持っていることがポイントだ(意識・思考などの言葉の使い方が適切でないかもしれない)。 そしてこの二人の父は、胎児内胎児の中にいた方だった。つまり二人の父の兄(伯父)は、生まれてから1年くらいの間、腹の中に弟を宿していたらしい。私は胎児内胎児という概念を知らなかったが現実にあることらしい。
ポイントになるのは、この伯父の体内にはもうひとり弟がいたことだ。この弟は人間としての肉体を形成できず、臓器や眼球が入った嚢胞として体の中にいた。生まれてくることはできなかった。
この伯父は途中で亡くなってしまうのだが、その時父の姿が骸骨に見えるという描写が印象的だった。伯父がいないと生きられなかった父が、伯父が亡くなってもまだ生きていることへの違和感が描かれている。肉体と意識の結合とか、異なる人間が一つの肉体に所属していることの曖昧さを描いた作品だった。 伯父と父、そしてもうひとりの生まれてこられなかった弟の関係は、結合性双生児である主人公たちの関係とは異なると思うのだが、それらを踏まえて主人公たちが感じたことを想像するのが面白い。その中には普通でないことへの苛立ちや諦めだけでなく、自分を見つけたいという、一種の青春っぽい感情も含まれているような感じがした。芥川賞らしい作品で良かった。
軽い風邪をひいた感じ。 前日の夜、夜中に目覚めていた。原因は暑かったことだ。 まず除湿機が停止していた。これは水が溜まったことで自動で停止したことによる。エアコンは28度設定にしていたのだが、これは除湿機が効いてればまあまあという温度で、効いてないと暑いのである。 これにより2時頃に起床させられたのだが、この時除湿機の水を捨て、エアコンを26度に下げ、さらにサーキュレーターを体に当たるようにした上で寝た。その結果軽い風邪になったと思われる。 冷静に考えると、先述したように28度設定のエアコンと除湿機の組み合わせで快適になるため、エアコンを26度に設定することとサーキュレーターを体に当てることは不要なのだが、暑くてしんどかったことと夜中の寝起きの判断力によりミスを犯した。
軽い風邪でも銭湯には行きたいので行ったのだが、今日は26日のふろの日でポイントが3倍であった。ふろの日は最高。
「フェイクドキュメンタリーQ」の本買ってきた。発売日当日に買っている。ファンなので。
動画は全て見ているが、動画を文章にしたものに後日談が付けられている。また、動画に存在しない書き下ろしが2つ入っている。
どれも面白かった。エレベーターの話はとにかく傑作。オレンジロビンソンさんのブログの話もめちゃくちゃ怖くて良い。 ただ、映像で見るほうがやっぱり面白いな。フェイクドキュメンタリーQの魅力は映像のクオリティの高さだと思っている。マジのドキュメンタリーと思ってしまうような、芝居感のないリアリティには感動すら覚えることがある。変な映像とか音声とかの本物っぽさはすごい。文章だとそこの凄さはわからないから。
宇多田ヒカルのライブツアー「HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024」に行った。さいたまスーパーアリーナ。
宇多田ヒカルって歌もいいんだけど、声と歌い方が個性的なんだなと思った。シャープな声質のイメージだったけど、もっと感情を乗せたような歌声に聞こえた。後、詳しくはないけど音作り的なところも凄さを感じた。
一方、コンサートという物自体はしんどいなと思った。立って聴くのも疲れるし、人が多すぎる。コンサート会場という超ハイコンテキストかつ周りに合わせなければいけない空間はきつい。
仕事してて家から特に出ない日だった。
今日も桃を食べた。最近毎日桃を食べていて、食べ頃かどうかの判定や切り方がかなり熟達してきている。家計を犠牲にして得ているスキル。
あらゆる情報をRSSから得ているんだけど、ここにニュースを加えようと思った。最近家のテレビを仕舞っちゃったためだ。ちなみに何故仕舞ったかというと、家のテレビ線のポートの位置と、テレビの小ささ(たぶん20インチない)ことから来る見づらさのため。
結論としては、「NHKニュース 主要ニュース」だけを見ることにした。 他にも色々足したのだが、ほとんどのものは更新される件数が多すぎた。RSSは多めに出してちゃんとは見ない、という運用をしている人が多いイメージがあるが、私はどのくらいの量が更新されるかにかなり気を使うタイプで、多すぎるのはかなり警戒する。
私は普段摂取するニュースの内容にかなり気を配っている。ネガティブなニュースをあまり見ないようにしているところがある。 例えば、あるところで殺人事件が起きて、こういう人がこういう人に殺されたので、犯人が逮捕されました、みたいなニュースって、これなんのために見る必要があるんだろうと感じてしまう。これを見るメリットってなに?といったように。 一方で、例えばロシアやウクライナのことから目を背けるのも違うんじゃないかみたいな思いもある。ニュースというメディアの性質と、そこから来る伝え方の問題な気もする。
土曜の夕方から始まった富山旅行。
富山駅は都会的で、外観は札幌駅に似ている。中は札幌駅よりもきれいというか、新しい感じだ。
石谷もちやという店のえんどう豆大福。評判がいいので行ってみた。確かにうまい。普段団子や大福を食べないのだが、これはうまかった。
富山湾。天気が良かった。
なんとなく、北陸は関東より涼しいようなイメージもあったのだが、別に涼しくなかった。とても暑い。
今回行きたいと思っていた、高岡市にある「道の駅 雨晴」。「あまはらし」と読む。このあたりの地名らしい。かっこいい名前。
道端に小さめの道の駅があるのだが、道を挟んですぐが海になっており、すぐ近くに踏切がある。良いロケーション。海と立山連峰が一望できる。今回は少し雲がかかっていたが。
ここまで、富山駅のあたりから車で1時間もかからない。高岡や氷見の方に行くにあたっては途中で寄れるおすすめスポットだった。
そして、「道の駅氷見」の横にある寿司屋へ行った。
白えび。 今年は白えびが不漁だから値段が上がっていたらしい。この店では一貫で960円くらいした。味は上品な甘海老のようで美味しい。
鰤。私は鰤のほうが好き。刺身で一番好きかも。
他にも色々食べた。満足。日曜の12時頃だったが、待ちは5組で割とすぐ入れたのも良かった。
富山市内に戻って、「富山市ガラス美術館」へ。ここは常設展だけなら入場料が大人200円と安い。 この写真の場所は展示の中ではなく、館内の写真。ここは建物全体が美術館と図書館でできており、美術館部分に入らなくても誰でも図書館部分にアクセスできる。
この図書館が凄かった。建物全体を隈研吾がデザインしたようなのだが、とても洗練されている。実際にとてもたくさんの人に使われていて、こんな図書館が家の近くにあったらいいなと思った。
美術館の部分は、写真を撮ってはいけないエリアと、撮ってもいいがインターネット上へのアップロードができない場所に分かれている。後者の方は何枚か撮った。なぜこういうルールにしているのかはわからないが、なんとなくいいルールだなと思った。
そしてラーメン。 「ダルマヤラーメン 新庄店」の「ヤング」というラーメンと半チャーハンを食べた。めちゃくちゃ美味かった。いわゆる富山ブラックというやつらしい。やっぱラーメンは醤油だなと思った。味噌とか豚骨とか塩って、大きく言えば全部同じなんじゃないかと思ってる。醤油は奥行きがあるイメージだ。実際はいろいろな味があるんだろうけど。
富山は富山湾、立山連峰といった自然環境もありつつ、図書館や美術館といった文化資本が揃っている。街なかには城址公園もあるし、明らかに古くからあるんだろうなという立派な瓦屋根の住宅も多く見た。 食文化はいわずもがなだし、総じて文化的なレベルが高いなと感じた。新幹線で東京から2時間という立地も絶妙で、人でごった返してはいないが行こうと思えばすぐ行ける、といったイメージ。冬はしっかり雪が降るが、夏の景色もいい。富山駅のあたりは都会でなんでもある。思ってたよりすごい街だった。また行くと思う。
突発的に旅行に行きたくなり、夕方から新幹線で富山に来た。新幹線で弁当を食べながら。 新幹線の旅行って楽でいいな。普段どこに行くにも車だけど、新幹線は独特の楽しさがある。たまに止まってしまったりするのが怖いが。
着いたのは夜なので富山駅周辺で適当に飯を食い、適当なビジネスホテルに泊まった。こういう雑な旅行が割と好きだ。
髪を切り、銭湯に行った日。
髪を切るタイミングとか、どのような髪型にすればいいのかが未だによくわからないでいる。 美容院に行くと「髪が多い気がするので減らしてほしい」とかなんとか言っているのだが、正直何をもって多いのかはわかっていない。シャワーを浴びる時に髪を触って多い気がする、というのが独自の判断基準だが、これも感覚的なものだ。 そもそも、自分がすべき髪型の正解がわからない。こういう髪型にしたいというのがそもそも特になく、「それなりに社会人としてまともで、洗ったり乾かしたりするのがめんどくさくなく、自分に似合っていれば何でも良い」という感じだ。理想的には美容師の人に完全おまかせにしたい(ついでに切るタイミングも指示してほしい)が、なんとなく完全おまかせでとは言ったことがない。言われた方も困るのではないかと思ってしまうから。 後申し訳ないが、完全おまかせにして、なんか全然変な感じだったらそれはそれで困る。完全おまかせにしておいて何を言っているんだという感じだが、これはもうしょうがない。当たり前の事だ。
髪を切ってもらってる間にアイスの話になる。MOWのバニラにオレオを砕いたやつを乗せるとクッキーアンドクリームのアイスが自作できるらしい。これには痺れた。脳天を貫かれるような感覚。今度やってみよう。
妻が病院に行く用事があり朝早めに起きていたのだが、それにつられて早起きしてしまった。こういうとき必ず起きてしまう。いつまでも寝ていられる人が羨ましい。そのせいで今とても眠い。
人生は食事・睡眠・運動が大事だと思っていたけど、最近は結局睡眠がすべてだなと思いつつある。睡眠がうまく取れないと運動ができないし、健康的な食事を摂ろうという意欲も湧かなくなる気がする。
最近毎日桃を食べてる。ロピアの桃が4個で980円とかなんだが、味が普通に美味いのだ。山梨産の桃らしい。ロピアの企業努力すごいなと思う。ただし普通にうまい前提でばらつきはあり、最近は激硬桃に出会った。追熟を待って今も置いてある。
久原のあごだしつゆを購入した。私のお気に入りのめんつゆだ。これうまいです。
私はこのつゆを専らうどんに使っている。書いてある分量でつゆを作って、冷凍うどんを入れるだけでかなりうまい。
私がうどんを作るときのこだわりは、卵を入れることだ。それも溶き卵ではなく、卵を沸騰したつゆに割り落とし、なるべく触らずにそのままにして固まるのを待つ。イメージとしては、ポーチドエッグのような見た目だけど黄身もしっかり固まってる感じだ。 味噌汁にもほぼ同じ作り方で卵をよく入れる。これに関しては、味噌汁の具で一番美味いと思っている。
卵とじうどんも美味いけど、卵がつゆの中に散乱して、食べにくいのが嫌なんだよな。今気付いたけど、私は卵がめちゃくちゃ好きだ。だし巻き卵も好き。最近は良い卵焼きフライパンを買おうと考えていたし。体にもいい。
パナソニックのナノケアドライヤーを使い始めて数日経った。 購入前に要件としていた、風が強くてコンパクトというのは完全に達成できている。軽いのも良い。高かったとは思うが、長く使うものだし基本満足している。
このドライヤーには5つのモードがある。 1つ目は温風が出続けるモード。おそらくどのドライヤーにもあるだろう。 2つ目は、温風と冷風が自動で交互に出るモード。 3つ目は冷風のみ。 4つ目はスカルプモードで、頭皮を乾かすものらしい。これは温風と冷風の中間くらいのぬるい風が出る。 最後がスキンモードといって、ナノイーとミネラルが含まれた風を顔に当てることで肌の潤いケアができるもの。弱めの風が出る。これを1分顔にあてると良いらしい。
この2つ目がまず良い。いい感じのタイミングで温度が切り替わってくれて助かる。 私は髪に詳しくはないが、ドライヤーというのは、温風を当てることで効率的に髪を乾かすことはできるものの傷みやすくなるというトレードオフをいかに最適化するか、というゲームだと捉えている。したがって、そこそこのタイミングで自動で冷風に切り替えてしまうのはいいバランスの実装なのではないかと思う。実際乾くまでの時間もそんなに変わらないような気はする。
スカルプモードに関しては、よくわからない。これは正直使ってない。 ドライヤーを使うとき、髪の根元を乾かすべきとよく言われる。ここで言う髪の根元がイコール頭皮だとすると、まずこれで頭皮を乾かし、その後モード2に切り替えて毛先等を乾かすのがいいのか?もしかしたらこれは髪が長い人向けの機能なのかもしれない。私のように髪があまり長くない人は、根元を乾かせばついでに髪全体もいい感じに乾くので、細かいことを考えても仕方ないかも。
スキンモードはよくわからん。最後に1分くらい顔に風を浴びせてる自分に滑稽さを覚えなくもない。かえって肌が乾燥するのでは?という気もする。もう少し続けてみるが。
カルディでラクサペーストという商品を発見。 調べてみたら、美味くて有名らしい。
我が家では今ラクサがブームである。ラクサはシンガポールで有名な麺料理で、ラーメンのようなものらしい。ココナッツミルクをベースとしているが、調べてみたところラクサは地域性が強くこれといった定義がないようだ。 何故ラクサがブームになったかというと、日清のラクサカップヌードルにハマったためだ。
今のところラクサっぽいものはカップヌードルでしか食べたことがない。ロイヤルホストで今度ラクサのランチセットが始まるようだが、2288円と信じられないくらい高いので恐らく行くことはないだろう。そこまで出す料理ではない気がする。
昨日の続きでホラーの話。
ホラー漫画はジャンプスケアと変わらない。ホラー漫画はどうしてもビジュアル的な怖さの勝負になるけど、私は霊的なものの存在を信じてはないので、ビジュアルが怖いものはすなわち「漫画の中のもの」になる。なので、漫画を読み終わったらもう思い出すことはない。
いいホラーは見たり読んだりしたあとも、日常生活に侵食してくる。「残穢」などはその典型だ。 これをさらに抽象化すると、「こちらの想像力で勝手に怖くなる」のがいいホラーなんだと思う。例えば、「ひとりかくれんぼ」という降霊術があって、これはぬいぐるみとかくれんぼをして、ぬいぐるみが隠れた自分を探しに来るというものだ。ぬいぐるみが自分を探しに来ることなんてもちろん有り得ないんだが、もしいま近くに来てたらどうしよう、という想像で怖くなる。 「ひとりかくれんぼ」は、かなり考えた人邪悪だな、と思う。あれは怖すぎてすごい。
ホラー映画とかホラー漫画は、全部映像や絵で見せざるを得ないから、見てる人の想像力に頼るのってけっこう難しいだろうなと思う。リングや呪怨のように、テレビとか布団とか、誰の家にもあるものをギミックに使うのはうまい。
休み。「僕が死ぬだけの百物語」をいくつか買って読んだ。 ホラーが私は好きなんだけど、漫画は違うかもなと思い始めてる。漫画は創作できる要素が多すぎて、ページを捲った瞬間に怖いビジュアルのものをバーンと出すタイプのホラーが多い。これはジャンプスケアと同じで、もちろん怖いけど別に面白くはない。
ホラーについて明日もう少し書く。なんか眠いので。
またトムヤムクン食べた。
毎朝運動のために縄跳びをしているんだが、最近ボトルネックが脚から手に移動してきている。しばらく跳んでると縄を持つ手が疲労して続けられない。 困るのは、疲労する手が右手だけということだ。これはおそらく左右の手にかかっている力のバランスが悪いのだろう。
縄跳びは、短時間でかなりいい運動になる上、道具も縄のみで、地面さえあればどこでもできる。ジムに行く必要もない。ジムに通っては辞めてしまったことがこれまで2回ほどあるが、縄跳びだけは続けることに成功している。
パナソニックのナノケアドライヤーが届きました〜〜! 軽いのと、コードが細いのが良い。以前のダイソンドライヤーは、本体部分はそうでもないが、ケーブルが重かったのだ。やたら太いし、ケーブルの途中になんこでかいのがくっついてたから。でも本体部分の重さはたいしたことないので、それはそれでよくできてたなと感じた。 使ってみた感じも割と良かった。温風と冷風が自動で切り替わるのが良くて、他はまあよくわからない。
ニトリでカーテンも買った。私は朝5時位に1回目覚めてしまうのが悩みなんだけど、寝室の窓にレースカーテンしかつけてないからでは?と思ったためだ。 一時期はカーテンをつけずに寝ていたこともあるが、今日買ってきて取り付けてみるとなんとも落ち着くことに気付いた。窓から街灯や月の光が入ってこないためだろう。
ドライヤーは結局パナソニックのナノケアにした。明日届くので楽しみだ。これで髪がツルツルになったらいいな。
今日は諸事情で夕食にお弁当を買ってきた。私はほっともっとが好きで、中でも特から揚げ弁当を気に入ってる。ほっともっとではほぼこれしか食べてない。今日もこれを買って食べた。
ほっともっとのから揚げは、じゅわっとしてうまいのだ。から揚げは衣がカリッとしてるのがいいという風潮があるが、あれは私は好きではない。衣がカリッとしているから揚げは本当に好きではない。じゅわっと柔らかい方が良い。コンビニの唐揚げ弁当に入ってるから揚げは、時間が経っているため衣が柔らかくなっているが、ああいうのがうまいと思う。
ここ5年ほどダイソンのドライヤーを使っていたんだが、最近調子が悪い。 まず、温度を変えるボタンを押すと「ピッ」という音がすることがある。これは普通はなんの音もならないはずだが最近気になるようになった。 そして、電源ケーブルの一部分が異常に熱を持つようになってしまった。火傷しそうなほどに熱くなる。おそらく、その部分が内部で断線か何かしており、ケーブル被覆に触れてしまって熱くなっているのだろう。ダイソンのドライヤーは1200Wもあるし。
熱くなっちゃうのが普通に困るので、このまま使い続けるのは無理だと判断し、買い替えることを決めた。
今の候補は、まずサロニアのSL-013だ。
これはAmazonで5300円程度と安く、その割に見た目がスッキリしているところが良いと思っている。私がドライヤーに求めるのは風が強いこととコンパクトなことなのだが、この点も満たしてくれていそうだ。
もうひとつの候補が、リファのビューテックドライヤースマートだ。
こいつは38,000円とかなり高い。風は強く、見た目は小さいというより「細い」という感じだ。 こちらは温度やイオンなどで、単に乾かすより髪がツヤツヤになるのが売りらしい。
これらを比較して購入検討しているが、リファに決まりそうな雰囲気だ。まず私はAmazonのポイントを20,000ポイントほど保有しているので、まあ38,000円はギリ出せる。長く使うことを考えると、品質の良いものを買っておくに越したことはまあない。 不安なのは、リファのドライヤーが本当に髪をツヤツヤにしてくれるのかどうかだ。私は髪質がパサつきやすいため、髪がツヤツヤになってくれるなら嬉しい。でも、ドライヤーで何故髪のツヤが変わるのかいまいち理屈がわかっていない。レビューはかなり良いが、高いのを買ったから良い気がしているだけの可能性は大いにあるだろう。
悩み疲れたので今日はもう寝よう。ダイソンのドライヤーが発火するまであとどのくらいか。
一昨日の日記にハスカップのスペルが表記ゆれしている画像を載せたが、あれについてなんとなく気になったので調べてみたところ、ハスカップという言葉はアイヌ語だった。
アイヌ語は当然英語ではなく、従って英語の正しいスペルというものが存在しない。じゃあアイヌ語ではどう書くんだろうと思ったが、アイヌ語にはかつて文字の概念がなく、今は「アイヌ仮名」という文字を使っているようだ。これはカタカナみたいなものらしい。
ハスカップのスペルちゃんと調べてから商品のパッケージ作ればいいのに、と思っていたが、ちゃんと調べてないのは私の方であった。こういう浅はかさを目の当たりにすると悲しい。間違っているのは自分のほうかもしれない、という考えができてないことがあるなと感じた。
まあでも、アルファベットで表記する場合は「Haskap」が正しいっぽいけどな。だったらそれで良さそう。
北海道から帰ってきた。空港であじさいのラーメン。味噌ラーメンよりも、醤油や塩のほうが好きだ。
昨日に引き続き北海道にいる。帯広に来た。ここは六花亭の帯広本店。
帯広本店と、函館の漁火通店限定のパンケーキ。柔らかさが絶妙で美味しい。 帯広と函館でしか食べられないというのは、なかなかうまいなと思う。札幌で食べられたら、プレミア感がないもんな。
帯広のローカルさは、函館と同じくらいだろうか。中心部は碁盤の目になっており、札幌と似たような西◯北◯のような呼び方で通りが特定できる。これはシステマチックで、住所を言えばそこまでの道順とかかる時間が大体わかるので良い。
六花亭の店の床がなぜか濡れていたんだが、打ち水をしていたようで、このような注意書きがあった。品が良い気もするけど、よく読むとなぜ水をまくのかは書かれてない。
セイコーマートに寄ったらカレーメシのカロパという言葉を発見。
都知事選は、予想していたけど小池百合子さんが選出されたようだ。私は東京都民でないので投票してないが、もし投票権があったら別の人に入れたと思う。変わらないより変わるほうが良いと思っているし、若い人にやってほしいから。小池百合子さんが明確に都知事をやらないでほしい理由があるわけではないが。
諸用で北海道に来ている。
うどん屋で、うどんと角煮丼のセット。美味そうに見えるが、実際美味い。
関東はとても暑くて湿度が高かったが、こちらは涼しい。雨が降っているので、カラカラという感じではないが。 以前北海道に住んでいたことがあるのだが、ここ最近は北海道も梅雨っぽく雨が降るようだ。北海道は梅雨がなかったんだけど、こちらの人によれば、最近は気候が変わってきているようだ。夏も大して涼しくないらしい。
ハスカップのスペルが表記ゆれしている現場。
日記書き忘れた。
セブンイレブンのベリーベリーヨーグルトスムージー飲んだ。味はうまい。330円という恐ろしい価格だが102kcalしかなく、コストあたりのカロリーは極めて悪いと言える。隕石が地球に衝突して食べ物に困るような状況で最も買ってはいけないもののひとつ。
コンビニの店頭にあるコーヒーとかのマシンってでも、あんまり触りたくないんだよな。久しぶりに触って思い出した。なんか汚い気がしてしまう。
作り方も丁寧に書いてあった。親切。なくてもわかるけどな。
リモートワークをしているんだが、昼ごはんに何を食べるかという問題がある。 今は基本的に、卵かけご飯一膳と、スーパーで3つセットのサラダチキンを1つ食べている。これは美味いし、準備が簡単だし、栄養もあるので良い。
問題は、サラダチキンに飽きてきたことだ。いつかこうなることは、わかっていたことではあった。サラダチキンは味がシンプルだから飽きないかもという狙いもあったが、結局のところ飽きてしまった。調理のバリエーションでなんとかなるのかもしれないが、調理は面倒だからしたくないし、正直調理したとしてももうあまり食べたくない気持ちになっている。
今有力な候補は、カロリーメイトリキッドという飲料を摂取し、それを昼食にすることだ。つまり卵かけご飯もやめる。これの問題点は、お腹が空くとかは置いておいて、缶を捨てるのが面倒なこと。明日からとりあえず色々実験してみようと思う。初日は、昼食なしは実際いけるかを検証する。
おしゃれ料理を作った。桃モッツァレラ。
こちらのレシピ。 https://www.futari-gohan.jp/momo-mozzarella/
最近スーパーで桃を2個買ったんだが、1個普通に食べたところそんなに甘くなかったので、ポテンシャルの低い桃の使い道として作った。
驚くほどうまい。塩こしょうするからか、甘みが強く感じる。勝手にブルーベリーとかも入れたが、存在感が弱かったので無くても良い。桃、モッツァレラチーズ、オリーブオイル、塩こしょうの組み合わせがかなりうまい。
このジェノベーゼかなり美味い。 チーズのような味がするのとにんにくの香りが良い。
ジェノベーゼって、昔はそんなにだったけど、最近かなり好きだな。でも、好きなパスタを聞かれてジェノベーゼってなかなか言いにくい気がする。おしゃれ感がすごいから。
Inoreaderへの移行祭りをやっていた。Inoreaderもそこそこ余計な機能がありそうだけど、Feedlyほどではないので気に入った。Redditの購読にRedditアカウントが不要なのが良い。
昨日焼肉に行ってしまったせいで、体重が増えておりつらい。仕方なく夕食をかなり軽めにした。 焼肉屋に行くと、たくさん食べたくなってしまうんだけど、たくさん食べたいっていう欲求は何なんだろうな。普通に考えて、食べ物はどこにでもあるし、たくさん食べるメリットはあまりない。たくさん食べると、次の日の同じような時間にお腹が空いてしまい、体が全体的に狂っているような感覚がある。
Feedlyが、微妙に使い勝手が悪くて困っている。なんか、私がサブスクライブしたフィードのうち、一部だけを取り出して表示してくる。それらを既読にすると、残りを出してくるんだが、最初から全て出して欲しい。あと既読にしたのにまた出てきたりする。 仕方ないのでInoreaderというアプリを使ってみようと思ったが、フィードの移行が面倒でまだ何もできてない。Inoreaderからメールで「まだフィードを登録してないみたいだけど、大丈夫?」的なメールも来てた。大丈夫だから心配しないで。
「住みにごり」の6巻を読んだ。森田編が終わって、引きこもり編が始まったようだ。 森田編、読んでた時はドキドキしてたけど、終わってみたらなんか後味悪いな。家族もバラバラになってしまったし。森田に家族が壊されてしまった感じ。早く続きが読みたいけどしばらく次は出そうにない。完結してない漫画はこれが面倒だ。
焼き肉食べた。昼に。 昼に美味しいご飯を食べて、夜は質素にするのが好きだ。今日は夕食に何も食べなかった。夜は寝るだけなのでお腹が空いていても大した問題ではないし、起きれば朝ご飯が食べられるし、空腹のほうが寝心地が良いので、夕食は軽めのほうが良い。
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されているという記事がある。
NY TimesがSpotifyのデータを使って、誰がどんな音楽を最も聴いているのかを調べたら、その歌が何歳のときにリリースされたものか?という特徴量が極めて重要だった、とのこと。
これ、本当に科学的に正しいのかはよくわからないが、感覚的にはかなり正しいような気がする。私もミスチル、スピッツ、バンプとかばかり聞いてるし。何故そういう事が起きるんだろう?と思ったが、元のニューヨーク・タイムズの記事にもそれは書かれてなかった。ただデータ分析の結果を載せてるだけなので、まあ仕方ない。
これが正しいとすると、音楽ってめちゃくちゃすごいな、と思った。「人は14歳の頃の音楽を最もよく聞く」とすると、次の2つが言えるのではないかと思った:
紅白とかで、昔の演歌とかやるの、要らなくね?と以前は思っていた(今もまあまあ思っている)んだけど、あれは確実に誰かに必要とされているんだよな、とも思う。 今流行っている歌も車とかでよく聞くし、ハマって何度も聞いてしまう歌もある。でもしばらくすると飽きて聴かなくなる。なんというか、昔よりも音楽と人生のリンクが薄くなっている気がする。人生が一つの円だとすると、あの頃の自分にとって、音楽はその円の大部分を占めていた。今はその円自体が大きくなってしまったから、音楽は相対的に小さくなった。
「ライト/オフ」を観た。タイトルにスラッシュ入ってるの今気づいた。 これ、ジャンプスケアでびっくりするのを除いては全然怖くない。映画としては普通に面白いと思う。
怪異の正体は「ダイアナ」という人物で、幽霊に近い存在と言えるだろう。かつては実在した人物で、ソフィーという鬱を患っている人物とお互い子供の頃に病院で知り合った。今は当時から二十数年くらい?経っている。ダイアナは光を浴びられない病で、ソフィーと知り合った後に事故で死亡した。ダイアナはソフィーに執着しており、ソフィーを奪おうとする人物に加害する。ソフィーを媒介にして実体を召喚しているようなイメージといっていいだろう。
この映画が怖くない理由はシンプルで、ダイアナの行動原理がわかりやすいからだ。ダイアナはソフィーに依存しており、ソフィーの夫や、ソフィーの鬱を治すそうとする(そして、精神的に安定させダイアナを封じようとする)娘を殺そうとする。このように、怪異の目的は何で、次にどのような行動を取るかをこちらが想像できるようになるとかなり怖さが減る。
「黒い家」は、ストーカーが何をしたいのか分からない間の怖さと、何がしたいのかが明らかになったうえでのバトルシーンは、怖さの質が全く違う。そんなような感じがホラーにはあると思う。
後はまあ、ダイアナがかなり物理特化型なのも怖さを抑えていた。明らかにこの世のものではないのに、殴ったり捕まえたりしてくるタイプなので、イマイチ謎の存在になれていなかった。
ホラーにも色々あって、何が怖いのが(何を観客は怖がりたいのか)が色々あるから難しいんだよな。私は未だに、自分がどんなホラーが好きなのか言語化できていない。これに何年も苦労している。
朝にハーコット、昼に桃、夜にキウイフルーツを食べた。果物食べまくってる。
金曜なので、仕事の後にいつもの銭湯へ行く。今日も熱波師が来ていた。ちょうど「今から熱波師の方にやってもらいま〜す」みたいなアナウンスを風呂に入りなから聞いたんだけど、意外にもそれに誘われてサウナに向かう人が多いことに気付いた。割と需要があるのか。
でも、サウナブームは早く終わって欲しいよな。普通の銭湯好きとしては、混むしデメリットしかない。サウナは体に悪いということがちょこちょこ言われるし、速くブームが去ってくれればいいと思っている。特に混むしうるさいので、土日は銭湯に行くことはほぼなくなってしまった。
ハーコットという果物がうますぎる。
ハーコットはあんずの一種だ。普通あんずは酸っぱくてそのまま食べるには向かないのだが、ハーコットは甘く、そのまま食べられるよう改良されたらしい。
ハーコットは、桃の純粋下位互換のような印象を受ける。見た目も桃より小さく、桃のような筋が外側に入っており、食べるとわかるが種の感じが桃とそっくりだ。
味は甘く、いい意味で特徴がない。シンプルに甘くてみずみずしくて美味い、そういう果物だ。皮をむかずに食べて、種だけ簡単に取り出せるのも良い。
最近、バランスチェア、昇降デスクといったものに興味があって困っている。今度実物を見に行く予定。でも、体の調子はこまめに動くこと(と、睡眠と運動と食事)でしかどうにもならない気はしている。
昨日から丸亀製麺で「うどーなつ」というドーナツの販売が始まっているので買ってきた。このために仕事を早く切り上げています。
味はかなり美味い。さすが丸亀製麺だな、という、さすがセブンイレブンだな的な関心をした。きび砂糖かカレースパイスみたいな味付けを選べるのだけど砂糖にした。書いてある量の砂糖をかけるとちょっと多すぎるかも。半分か、なんなら何もかけなくても美味いと思う。
今丸亀製麺の公式サイトを見てて知ったが、丸亀製麺にはMochi-Mochiクラブというファンクラブがあるようだ。
MARUGAMEgramというSNS風のページや、掲示板みたいなのもあるようだ。掲示板を見てたら、運営をメンションして店のオペレーションに意見を言っている人がおり、ファンの鑑だなと思った。
MARUGAMEgramは、基本うどんの写真しかないんだけど、たまに普通に飼ってる猫の写真だけを投稿している人もおり、かなり良い空間だった。
最近着けてなかったOura Ringをまたつけ始めることにした。久しぶりにアプリを開くと測定できる項目が色々増えているようなので嬉しい。Oura Ringはデカいし割と邪魔なんだけど、便利なものではあるよなと思う。
芦沢央の「汚れた手をそこで拭かない」を読んだ。芦沢央さんの本はおもしろい。よくこんなシチュエーションが思いつくよな、という話が短編で入っており、感心させられるような気持ちになる。
ビアードパパの7月の期間限定は、ストロベリーチーズケーキシュークリームらしいぞ〜! 正直最近ビアードパパ全然食べてないけど、これはテンション上がる。最近あんまり良い期間限定シューが来てなかったのでなおのこと。 ビアードパパは通常のクリームのシュークリームとは別で、毎月期間限定メニューを出している。それが基本1ヶ月限定なのだ。 今月の期間限定は何だったかというと、「とろけるももシュー」と「ラングドシャシュー」である。これはどちらも食べてない。最近普通に甘いものを控えているからというのもあるが、あまり興味を惹かれなかった。 というか、こういう変わり種メニューみたいなのが、定番メニューより当たりであるということはほぼない。これは間違いない。これってなんでなんだろうな。
「食べ慣れてる」という概念があるけど、食べ慣れてるってなんなんだろう。食べ慣れてるものを美味しく感じるという現象が存在するのは間違いないと思うけど、何故そういう事が起こるのかはいまいちよくわからない。全く味わったことのない外国の料理とかで、美味しさを感じるための情報が脳にインストールされていないみたいな感覚はわかるけど、それとも微妙に違う現象な気はする。
感覚的には、なんていうかな。すでに食べたことのある、美味しいとわかっているなにかを食べるとき、脳は予めその食べ物の情報を頭の中で予測しておいて、それが実際に口に入ってきたとき、その予測と実態がバッチリ一致する気持ちよさがある、みたいな。食べ物を食べるときには、こういう期待感込みで食べているのかも。こってりラーメンがウリの店で、あっさりラーメンを食べたときの「コレジャナイ感」みたいなものも、なんとなく説明がつけられる気がする。
昼にラーメンを食べる気持ちでいたら、やっぱりカレーになったときに、「ラーメンの口になってた」みたいなことを言うときがあるけど、これもおもしろいよな。ラーメンの口ってなんだと思うけど、でも言ってることはよくわかる。
おかずクレープ。初めて食べた。 おかずクレープ、うまいはうまいんだけど、やっぱ違うかもなと思った。やっぱチョコとかバナナのほうがうまい。おかずクレープはうまいけど、この系統でうまいものはもっとある。戦う場所が適切じゃない感じがする。
赤飯も食べた。 赤飯が好きだ。なんかおはぎとか売ってる店に赤飯が売ってると買ってしまうことがある。 北海道の赤飯を食べたことがある。北海道の赤飯は豆がなんか甘い(煮豆みたいなやつ)し、赤みは食紅でつけているらしい。私はあんまり好きじゃないけど、北海道では市民権を得ているらしい。
ネットフリックスで「呪詛」を見た。 かなりオーソドックスなホラーだ。ちゃんと怖い。呪いもので、いわゆる「お憑かれさま」系というやつだが、ストーリーが凝ってる感じはしない。色々設定はあるかもしれないけど、純粋に怖さを楽しめばいい映画だなと感じた。オススメです。
Amazonプライムビデオで「女神の継承」を見た。なんか評価が分かれそうだと思ったが、私はかなり面白かった。
全体的にはシンプルな話だが、ちょこちょこよくわからない部分もある。私はラストシーンでかなりぐっときたのだが、ラストでニムが、バヤンが自分の中にいる感覚に疑いを持っていることが明かされる。 私は、たぶんバヤンなんて初めからいなかったんじゃないのと考えている(精霊なんてこの世にいるはずがないと考えているから)。そういった信仰に対する皮肉を描こうとしている部分はたぶんある。でも、ニムがなぜ死んだのかってかなり謎なんだよな。バヤンなんていなかったオチが正しいとすると、ニムの死は自殺くらいしか説明がつかない。ここは謎。
あと、犬が象徴的に出てくるシーンが多い。タイの犬食文化批判なのかな。ラストで悪霊が大騒ぎするあたりではみんな犬っぽい動きになるのだが、悪霊の正体は犬なんじゃないかなと思った。ノイは犬食が禁止されてるにも関わらず犬を殺して食肉として売っていたようだし。
この映画で私的に魅力ナンバーワンなのはなんと言ってもサンティだ。
サンティは祈祷師で、悪霊を祓えそうな期待感(と、祓えずに返り討ちにされてくれそうなワクワク感)をうまく醸し出している。
確かサンティとニムの関係はちゃんと説明されてなかった気がする?が、初出のシーンはサンティが人々を集めてなんか祈ってたシーンだったはず。ニムが「まだこんな子供だましのようなことをやってるの?」とかなんとか言うと、サンティが「生活のためさ」的なことを返す。このシーンが最高。本当はすごい力を持っているけど、敢えてチープな祈りで小銭を稼いでいるのが逆に強キャラっぽい。でも妙に悪霊祓いに自信を持っていそうだったことから、私はこのへんでミンは助からない(そしてサンティは返り討ちにされる)と確信を持った。
私はホラー好きなので、こういう祈祷師とか霊能力者とか、怪異に対してこちらも特殊能力で対抗できるキャラクターが登場する作品に触れることは多い。総じてこういうキャラが好きだ。なんかすごくワクワクする。ニムが頼るくらいだからサンティは凄いんだろうなという感じが、アベンジャーズみたいでかっこいい。こういう、「この怪異は私では祓えないので師匠を呼びます」的なシーンは良い。安心感がすごい(ただしサンティは死ぬ)。
最後の方、パンがミンに騙されてドアを開けてしまって、サンティが返り討ちにされるシーン、ちょっと笑ってしまったもんな。そりゃそうだよ感がすごかった。
とまあこの映画はとても面白いんだけど、モキュメンタリーとしてのクオリティは今一歩かなと思う。このへんはたぶん日本のフェイクドキュメンタリーが異常にクオリティが高いだけだとは思うが(「放送禁止」とかの頃から歴史もすごい)。
あー面白かった。
近所の銭湯がリニューアルしたらしい。リニューアルしたこととは特に関係なく、私は毎週そこに通っており、今日も行った。 風呂はなにひとつ変わっていなかったが、2Fの漫画を読みながら休憩するスペースがきれいになっていたようだ。私はそこにはほとんど行くことがないので、リニューアルの恩恵は受けられていないと言える。
私が通う銭湯は何故かサウナ好きにかなり媚びていて、サウナ関係のイベントをよくやっている。
私自身はサウナにはあまり入らないけど、よく熱波師(サウナでタオルを振って室内の温度を上げる役割を持った人)を呼んでいるようだ。
今日も風呂に入っていると、「21時より男湯サウナにて、熱波師の◯◯さんによるイベントを開催しますのでお集まりください」というようなアナウンスが聞こえてきた。
「今日は熱波師が来るからあの銭湯に行こうぜ」的な需要ってどのくらいあるんだろうな。熱波師に来てもらう費用対効果が気になってしまうというか、正直そんな人はあまりいないのではないかと思うんだけど、私の知らないところでは推しの熱波師みたいな概念があるのかも。
熱波師検定っていうのもあるらしい。奥が深い。
はま寿司。
寿司に囲まれてる。 私は寿司に囲まれるのが好きだ。
店で待っている時、偶然出くわしたような家族同士が話していた。全然喋らない子供に対して、父親のような人が「どうして喋らないんだ、恥ずかしいのか?」というようなことを聞いていた。
私もあまり喋らない子どもだったので、同じようなことを言われたことがあるなあ、と思い出した。
こっちからすると、恥ずかしいというより、ただ単に話したいと思っていないのだ。聞きたいこともないし、伝えたいこともないので、特に口を開かないのは合理的な選択の結果だ。でも、恥ずかしがって喋らないと思われている。
私は、人は他人からどう思われているかによって振る舞いが決まると思っている。他人から恥ずかしがりだと思われている人は、その人を驚かせないために、わざと恥ずかしがりのふりをする。それが楽だから。
自分のネイティブの言語ではない言葉を話しているときに明るくなる人というのがいるけど、あれは話し相手が自分に何の仮定も置いてないから、自分のありたい自分として自由に振る舞えるようになった結果なのだと考えている。
今日のはま寿司も、相変わらず炭治郎がうるさかったな。
今日もラクサのカップヌードル食べた。3日連続でカップヌードル。
私はハマった食べ物を、短期間で大量に食べる癖がある。一人暮らしの頃は、こんなに短期間で同じもの食べるの良くないかもなと思っていたのだが、同じような人の話を割と聞くので、もしかしたらこういう人はけっこういるのではないか?と思う。
今までにハマった食べ物は、覚えている限りこんな感じだ。
最近は外食が減ったのであまり食べなくなったが、今でもこれらはかなり好きだ。今も食べたい。
ホワイトデニッシュショコラは、たまにひとりでスーパーに行ったりすると買ってしまうことがある。あれはデニッシュ部分がボロボロこぼれてくるので、車の中で食べられないのが難点だ。いつも駐車場の、自分の車の運転席の横あたりで立って食べている。
10年後も20年後も、おそらく同じことをしていると思う。
今日もカップヌードルを食べた。トムヤムクン。
このトムヤムクンはかなり本格的な味で、酸味と辛味、パクチーの風味が意外なほどカップヌードルのチープな麺に合うのだ。正直辛すぎるけど、かなり好きな味だ。
昔渋谷でタイ料理の店に連れて行ってもらったことがある。その時はタイ料理を食べたことがなくて、単に定番だからと誰かが頼んだトムヤムクンをもらって食べた。その時も、確か辛すぎて食べられなかった記憶がある。暑い夏だった。
このカップヌードルは、あの夏を想起させる。トムヤムクンは人生であの夏のタイ料理屋とカップヌードル以外食べたことがないので、正直本格的とかはわからないけど、今後もっと食べていきたい。
今日は最近やっていた仕事が一段落したので良い日だ。
ラクサのカップヌードルを食べた。
ラクサのカップヌードル、かなりおいしくて驚いた。私はこういうエスニック系の食べ物が好きだ。あの酸っぱさが口に合う。この文章を書いている今、冗談抜きでよだれが出てきてる。犬のようだ。
酸っぱさをイメージすると唾液が分泌されるのは面白い。小3くらいの頃に理科の先生が、「梅干し梅干し梅干し酸っぱい酸っぱい!」とかなんとか急に叫んで、唾液を分泌させることで人間の反射について教える授業があって、私はあれを妙に覚えている。唾液がどうのこうのというより、単純にびっくりしたのだ。体がビクッとした。いきなりでかい声で先生が叫んだから。いい先生だった。
山親爺も食べた。山親爺は北海道のお菓子だが、白い恋人のようにメジャーではない。味は瓦せんべいみたいな感じでうまい。